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ESGインサイト『日本の家はなぜ寒いのか』

牧之内 芽衣

目次

見過ごされる冬の「寒さ」

冬になると住宅の底冷えに悩まされるが、日本では住宅の断熱性不足による健康リスクがしばしば軽視されてきた。世界保健機関(WHO)は健康な成人に対し室温を18℃以上に保つよう推奨している。ところが、一般社団法人日本サステナブル建築協会による「住宅の断熱化と居住者の健康への影響に関する全国調査 第9回報告会」によれば、日本では在宅中の居間の冬季室温平均は17.1℃とこれを満たしていない。セントラルヒーティングが普及していないこともあり、脱衣所や浴室・トイレが冷え込んで部屋間の温度差が大きくなりがちだ。このような寒冷環境が、高血圧や循環器疾患のリスクを高め、ヒートショックにつながっているといわれている。

もっとも、「ヒートショック」は医学的な正式診断名ではない。そのため死亡診断書等の直接死因欄に「ヒートショック」と記載されることはなく、統計上は「心筋梗塞」「脳出血」「不整脈」「溺死および溺水」など複数の病名・外因に分類される。本稿で用いる数値はいずれも、入浴関連事故や浴槽内溺死、入浴中の心肺停止といった「急激な温度変化の影響が強く疑われる事例」を代理指標として読み解いたものである。

戦後の住宅不足と断熱軽視の歴史

日本の住宅が「寒い家」になってしまった背景には、戦後から高度経済成長期にかけての住宅政策の優先順位がある。第二次大戦直後、日本は都市部を中心に空襲被害や人口流入により深刻な住宅不足に陥り、国家的な最優先課題は「量を確保すること」だった。高度経済成長期には政府の住宅金融支援や住宅ローン減税も相まって新築住宅が次々と建てられた。省エネルギーに関する全国統一的な断熱基準が初めて制定されたのは1980年になってからである。その後も、1992年、1999年、2013年、2016年と段階的に基準は強化されたものの、その多くは新築設計時の努力目標にとどまり、長らく義務化されず、既存住宅を対象とした目標ともされてこなかった。

図表
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国際基準から見た断熱性の遅れ

近年になって住宅の省エネ性能向上が注目され始めたものの、日本の断熱基準は主要先進国に比べ依然見劣りしている。日本はG7で唯一、2024年時点まで新築住宅の省エネ基準適合が義務化されていない国だった。2025年4月からようやく、政府は全ての新築住宅・建築物に省エネ基準適合を義務化し、断熱等級4以上を満たすことを必須とする制度改正を実施した。

断熱性の指標として日本ではUA値(外皮平均熱貫流率)が用いられる。値が小さいほど熱が逃げにくいことを示すが、日本の断熱等級4は東京や大阪などの地域でUA値0.87W/㎡・Kにあたるのに対し、例えばアメリカ(カリフォルニア州)は日本のUA値相当で0.42という水準で、日本は最新の基準であってもカリフォルニア州の2倍以上の熱損失を許容していることになる。

なお、各国の基準は気候条件や建物類型に応じて異なり、外皮平均熱貫流率の定義も完全には一致しない。そのためUA値だけで住宅性能の優劣を一義的に決めることはできないが、自国の気候を前提に設定された「最低限許容される外皮の熱損失レベル」を比較するという限定的な意味では、日本の基準は主要国に比べて相対的に緩い位置づけにあるといえる。

図表
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既存住宅という構造的課題

総務省「住宅・土地統計調査」によれば日本の総住宅数は2023年時点で6,502万戸にのぼるが、そのうち断熱等級4に適合している住宅は18%に過ぎない(国土交通省調べ)。さらに、全住宅の24%は1980年の基準すら満たさない無断熱の住宅で占められている。建築基準法の性能規定は既存住宅には遡及しないため、断熱性の低い家は残り続ける。ヒートショックを引き起こす日本の住宅状況を根本的に改善するには、既存住宅の断熱改修抜きには語れない。

断熱改修とその効果

国土交通省の「スマートウェルネス住宅等推進調査事業」によれば、断熱改修後に居室の冬期室温が平均で約2℃上昇し、起床時の収縮期血圧が平均3.1mmHg低下するなど健康指標の改善が確認されている。断熱改修は家計の節約だけでなく住民の健康増進という便益をもたらす。

環境省が推進する「デコ活(脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動)」で紹介されている「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしの10年後」では、断熱等級2から4への改修で、年間1,130.7kgのCO2削減効果とともに、9万4,000円の光熱費削減が見込めるとしている。

一方で問題となるのが断熱改修のコストだ。環境省が紹介する試算では、同程度の断熱性を新築時に確保する場合と比べて、既存住宅の断熱リフォームにはより大きな費用負担が生じることが示されており、一般的な戸建て住宅では数百万円規模の投資となる場合も少なくない。

図表
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環境省主管の「既存住宅における断熱リフォーム支援事業」、国土交通省・経済産業省・環境省の3省が連携した「住宅省エネ2025キャンペーン」、国土交通省による「長期優良住宅化リフォーム推進事業」などの支援策が用意されている。しかし、補助事業は年度予算に依存するため中長期的な見通しを持ちにくいこと、賃貸住宅では所有者と居住者の利害が分かれるため投資が進みにくいこと、住宅の省エネ性能が中古住宅市場で十分に価格に反映されていないことなどが、断熱改修の普及を阻む要因となっている。

気候変動への適応・緩和策としての断熱

穴の開いたバケツに水を注いでも貯まらないように、断熱性の低い住宅では部屋を暖めても熱が逃げ続け、高い光熱費と健康リスクというコストを払い続けることになる。夏には猛暑のなか冷房を効かせた結果、エネルギー消費が増え、気候変動の一因になるという構図もある。

住宅の断熱性向上はヒートショック予防に加え、「適応」と「緩和」の両面でも重要だ。断熱改修を「個々の住宅所有者の判断」に委ねるだけでなく、健康・福祉・エネルギー・気候変動といった政策分野と連動させた社会的インフラ投資として位置付け、支援規模や情報提供を一層強化していくことが求められる。

牧之内 芽衣


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。