なぜ受診は遅れるのか?

~世帯収入別にみた「受診の壁」と将来の家計リスク~

谷口 智明

目次

1.世帯収入と受診の遅れ(受診の壁)との関係

健康はウェルビーイングに関わるだけでなく、家計の安定を支える重要な要素である。病気や体調不良は、医療費の増加だけでなく、就労機会の減少、収入低下、介護・看護負担などを通じて、中長期的にも家計へ影響を及ぼしうる。したがって、早期受診や健康管理は、単なる医療行動だけではなく、将来の生活防衛にも関わる行動といえる。こうした家計の安定は、長期的な資産形成の前提にもなる。もっとも、日本では公的医療保険制度が整備されている一方で、実際に医療機関を受診するまでにはさまざまな障壁がある。

本稿では、厚生労働省「令和5(2023)年受療行動調査(確定数)」に基づき、外来患者について世帯収入(注1)および自覚症状の有無別に、受診までに時間がかかった理由を確認し、医療アクセスや家計リスクの観点からその示唆を考察する。また本稿では、受診までに時間がかかった背景・要因を便宜的に「受診の壁」と呼ぶ。

なお、同調査は3年ごとに実施されている。調査方法は、10月中旬の3日間(直近調査では2023年10月17~19日)のうち、厚生労働省が病院ごとに指定した調査日において、当該病院を利用した患者に対し、医療を受けた際の状況等を尋ねるものである。調査日当日に病院を利用した患者を対象としているため、受診を断念した人や医療機関に来られなかった人は対象に含まれない点に留意が必要である。

また、自覚症状の有無については、外来患者が調査日に受診した病気や症状を初めて医師に診てもらった時点で、「自覚症状があった」「自覚症状がなかった」か別に集計されている。例えば、「自覚症状がなかった」外来患者には、健康診断や人間ドックで異常を指摘され、精密検査や再検査のために受診した人などが含まれる。同調査によれば、自覚症状がなかった人の受診理由として「健康診断で指摘された」が最も多い(注2)。

2.自覚症状があった患者~共通する「様子見」と低収入層の経済的負担

資料1は、自覚症状があった外来患者について、世帯収入別に受診までに時間がかかった理由を示したものだ。いずれの世帯収入でも「まず様子をみようと思った」(以下、「様子見」)と回答した割合が最も高く、おおむね6割台を占めた。自覚症状があってもすぐに医療機関を受診するのではなく、症状が改善するかどうかを見極めようとする行動は、世帯収入にかかわらず広くみられる。ただし、同じ「様子見」であっても、その背景は一様ではないだろう。軽症と判断してしばらく受診を見送る場合もあれば、費用や時間の制約等を考慮して受診を先延ばしにする場合など、複数の事情が「様子見」の背景に含まれていると考えられる。

特に低収入層では、受診に伴う家計負担が意思決定に影響している可能性が示唆される。実際に、「経済的な負担を感じた」と回答した割合をみると、世帯収入200万円未満の層では6.5%と相対的に高く、収入が高くなるにつれて低下する傾向が確認できる。世帯収入800万円以上の層では0.6%にとどまっており、両者の回答割合を単純比較すると約11倍(5.9%ポイント)の差となる。回答割合自体は一桁台にとどまるものの、低収入層ほど経済的負担が受診遅れの背景になりやすいことを示唆している。受診の先送りは、短期的には支出を抑える行動に見える。しかし、症状が悪化すれば、治療費の増加、通院回数の増加、入院リスクの上昇、就労への影響等を通じて、結果的に家計負担が大きくなる可能性がある。低収入層における経済的理由による受診の遅れは、将来の家計リスクにもつながりかねない。

一方、「医療機関に行く時間の都合がつかなかった」と回答した割合は、世帯収入が高い層ほど高くなる傾向がみられる。世帯収入200万円未満と800万円以上の層を単純比較すると、回答割合には約1.6倍(7.3%ポイント)の差がある。中高収入層では、経済的負担よりも、仕事や家庭の都合との調整が受診の制約になっている可能性がうかがえる。所得が高いことは必ずしも時間的余裕があることを意味せず、忙しさが健康管理を後回しにさせる要因の一つになっているともいえよう。

図表
図表

3.自覚症状がなかった患者~世帯収入による違いが顕著

資料2は、自覚症状がなかった外来患者について、世帯収入別に受診までに時間がかかった理由を示したものだ。資料1の自覚症状があった外来患者と比べると、世帯収入による違いがより顕著に表れている。

まず、世帯収入200万円未満の層では「様子見」と回答した割合が高く、収入が高くなるにつれて低下する傾向がみられる。前述の通り、自覚症状がないにもかかわらず受診に至った背景としては、健診後の精密検査や再検査の勧奨、他の医療機関等での検査結果、医師による他覚的所見等が想定される。これらは、本人にとって差し迫った必要性を感じにくい面もあり、日々の生活費や仕事、家族の都合に押されて後回しにされやすい。世帯収入200万円未満と800万円以上の層を単純比較すると、回答割合には約1.9倍(13.3%ポイント)の差があり、低収入層では、生活上の制約の中で自覚症状のない段階での受診が後回しになりやすいことが示唆される。

一方、世帯収入が高い層では、「医療機関に行く時間の都合がつかなかった」と回答した割合が最も高く、収入が高くなるにつれて上昇する傾向がみられる。世帯収入200万円未満と800万円以上の層を単純比較すると、回答割合には約1.8倍(18.6%ポイント)の差がある。また、「医療機関の都合(予約が取れないなど)」も中高収入層で一定程度みられる。こうした結果は、時間的な制約や医療提供側・予約面の状況等によって、受診が後回しにされる可能性を示している。

図表
図表

4.「受診の壁」を下げ、将来の家計リスクを抑える

本分析からは、世帯収入によって受診の遅れにつながる要因が異なることが示唆された。自覚症状の有無によって多少の違いはあるものの、総じて低収入層では経済的負担や「様子見」が、中高収入層では時間の都合や予約の制約が、それぞれ受診を遅らせる壁となっている。つまり、受診を促すには、単に受診の必要性を啓発するだけでなく、収入階層ごとに異なる障壁を踏まえた対応も課題であるといえよう。

受診の遅れは、疾病の早期発見や重症化予防の機会を失わせるだけでなく、医療費の増加や就労機会の減少等を通じて、家計にも悪影響を及ぼしうる。特に世帯収入の低い層では、病気による支出の増加や収入の減少を吸収する余力が限られるため、受診の遅れがより大きな生活リスクとなりやすい。一方、世帯収入の比較的高い層においても、忙しさや予約の取りづらさによって健康管理が後回しにされれば、長期的な就労継続や家計の安定に影響する可能性がある。

したがって、医療アクセスの改善には、高額療養費制度といった負担軽減策だけでなく、通院に伴う時間的制約や予約上の制約を軽減する取り組みも欠かせない。例えば、夜間・休日診療、オンライン予約、待ち時間の見える化、職場や生活圏に近い場所での受診機会の確保など、症状がない段階でも受診しやすい環境を整えることが重要である。

資産形成との関係も、この延長線上で捉えることができる。資産形成というと金融資産の積み上げが意識されやすいが、働き続けられる健康状態や、突発的な医療・介護支出を抑える生活基盤にも左右される。健康は、こうした意味で人的資本の土台であり、長期的な家計安定の前提となる。今回の分析が示すように、収入階層によって異なる「受診の壁」を下げることは、医療政策上の課題であると同時に、将来の家計リスクを抑えるうえでも重要だ。社会保障教育や金融経済教育においても、疾病予防や早期受診を、将来の家計リスクを抑える基本的な行動として位置づける視点が重要である。

以 上

【注釈】

  1. 世帯収入には、世帯員の年齢構成、就業状況、世帯人員等の違いも反映されるため、本調査結果を収入のみの影響として解釈するには留意が必要である。

  2. 同調査によれば、外来患者が調査日に受診した病気や症状を初めて医師に診てもらった時、「自覚症状があった」は66.3%、「自覚症状がなかった」は28.1%となっている。「自覚症状がなかった」と回答した者が受診した理由は、「健康診断(人間ドックを含む)で指摘された」が45.2%と最も高かった。

【参考文献】

谷口 智明


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一ライフ資産運用経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。