マレーシア中銀、感染再拡大に直面も「様子見姿勢」を維持

~行動制限の影響は「深刻でない」と評価、今後の行方は感染動向とワクチン接種動向がカギに~

西濵 徹

要旨
  • マレーシア経済は輸出依存度が極めて高く世界経済の動向の影響を受けやすい。一方、年明け以降は新型コロナウイルスの感染拡大と非常事態宣言による行動制限が景気の足を引っ張ることが懸念された。ただ、その後は感染拡大一服やワクチン接種の進展が期待されたが、足下では変異株による感染再拡大が顕在化しており、ワクチン確保に手間取る状況が続くなど、景気回復の動きに冷や水を浴びせる懸念が出ている。
  • こうしたなか、中銀は6日の定例会合で政策金利を据え置く様子見姿勢を維持した。同行は1月の非常事態宣言発令直後も事前予想に反して様子見を図ったが、今回も「経済活動への影響は深刻でない」との見方を示した。足下の通貨リンギ相場は米ドル高圧力の後退や国際商品市況の動向を受けて堅調に推移しており、当面は様子見を維持すると見込まれるが、その行方は感染動向とワクチン接種動向がカギを握ろう。

マレーシア経済を巡っては、その人口規模(3,200万人弱)も影響してASEAN(東南アジア諸国連合)内でも経済構造面で輸出依存度が極めて高く、昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)による世界経済の減速による影響を受けやすい。さらに、国内でも感染拡大の動きが広がり、ムヒディン政権は外出禁止をはじめとする強力な感染対策を講じたことも重なり、外需の低迷による雇用・所得環境の悪化も相俟って内需にも下押し圧力が掛かるなど、深刻な景気減速に見舞われた。足下におけるマレーシア国内における累計の感染者数は42万人強に達しているものの、死亡者数は1,600人弱に留まっており、感染者数に対する死亡者数の比率は周辺国と比較しても低水準であるなど感染状況は相対的に落ち着いていると捉えられる。なお、同国では昨年末にかけて感染が拡大する『第2波』が顕在化したが、その背後でムヒディン政権の倒閣を公然と求める『政局争い』が激化したことを受けて、今年1月にムヒディン首相はアブドラ国王に対して非常事態宣言の発令を要請し、8月1日までを対象に非常事態宣言が発令されるなど一見『政治利用』ともみえる動きに発展している 1。同国で非常事態宣言が発令されたのは約50年以上ぶりであり、宣言の下で厳しい活動制限令が施行されたことで幅広い経済活動に悪影響が出る事態となったものの、その結果として1月末を境に新規感染者数は鈍化傾向を強めるなど事態収束に向かう兆しもみられた。他方、政府は2月末に米国製ワクチンの接種を開始しており、第1段階では医療従事者や医療関連サービスの従事者を対象に接種が行われたほか、先月下旬からは第2段階として65歳以上の高齢者や基礎疾患を持つ人、障碍者などを対象にワクチン接種が行われている。政府は向こう1年以内に国民の8割以上を対象にワクチン接種を行う方針を掲げるとともに、契約ベースでは接種に必要な量を上回る調達量を確保している。ただし、今月4日時点における完全接種者(必要な接種回数をすべて受けた人)数は58万人強、部分接種者(少なくとも1度は接種を受けた人)数は91万人強に留まっており、完全接種率及び部分接種率はそれぞれ1.81%、2.83%と世界平均(それぞれ3.65%、7.90%)を大きく下回っている。この背景には、世界的にワクチン獲得競争が激化するなかで調達に遅れが生じていることが影響しており、政府は今月から第3段階として18歳以上の成人や在留外国人を対象にワクチン接種を開始する予定であったものの、スケジュールの遅延が避けられない見通しとなっている。さらに、足下では周辺国と同様に感染力の強い変異株による感染が再拡大する『第3波』が顕在化しており、新規感染者の拡大に歩を併せるように死亡者数も拡大傾向を強めるなど状況は徐々に悪化している。こうした事態を受けて、足下では底入れの動きを強めてきた人の移動に再び下押し圧力が掛かる兆候も出ており、世界経済の回復を追い風に外需関連産業を中心に企業マインドは改善の動きを強めるなど景気の底入れに繋がる期待に冷や水を浴びせることが懸念される。

図1
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図2
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こうしたなか、中銀は6日に開催した定例の金融政策委員会において、政策金利を5会合連続で過去最低水準である1.75%に据え置く決定を行った。同行は昨年、新型コロナウイルスのパンデミックによる景気減速懸念の高まりに対応して計4回(累計125bp)の利下げ実施に動くなど、積極的な金融緩和に舵を切ったものの、昨秋以降は世界経済の回復を受けた景気底入れを理由に一転して政策金利を据え置いている。なお、年明け以降には上述のように政府が非常事態宣言の発令に動いたことを受けて、活動制限令により幅広い経済活動に悪影響が出ることが懸念されたものの、発令直後に開催された定例会合では、事前に国際金融市場では追加利下げに動くとの期待が強まったものの、予想に反して政策金利を据え置いて様子見を図るなど慎重姿勢をみせた 2。足下においても感染拡大の『第3波』が顕在化しているものの、実体経済への悪影響が表面化していない一方、世界経済の回復により外需をけん引役に景気回復が期待されることを受けて、引き続き慎重姿勢を維持したものと捉えられる。会合後に公表された声明文では、世界経済について「国ごとにバラつきはあるが、製造業や貿易の改善を受けて主要国を中心に回復が進んでおり、米国ではワクチン接種や財政出動による押し上げが期待されるも、一部の国では感染再拡大による悪影響が懸念される」とする一方、国際金融市場は「ボラティリティが後退するなかで緩和姿勢の維持が景気を下支えしている」としつつ、「感染動向を巡る不確実性と金融市場のボラティリティが潜在的なリスク要因となる」との見方を示した。一方、同国経済は「足下の経済活動は改善が続いており、一部地域での外出制限により短期的に経済活動への悪影響が懸念されるが、その影響は深刻でない」との見方を示した上で、「世界経済の回復と政策支援によって景気回復は下支えされる」とし、「電気機械関連や農林漁業、鉱業部門がけん引役になる」一方、「感染動向とワクチンの接種動向が景気を左右する」との見通しを示した。物価動向については「国際原油価格の底入れに伴うコストプッシュ要因により押し上げられている」ものの、「足下のインフレ率の加速は前年の反動の影響による一過性のものであり、徐々に緩やかになると見込まれる」とした上で、「コアインフレ率は設備余力が重石になる」としつつ、「国際商品市況の動向に左右される」との見方を示している。なお、先行きの政策運営については「新たな経済指標や情報、景気及び物価動向に与える影響が左右する」としつつ、「持続可能な景気回復の実現に向けて必要に応じて政策手段を活用する」とした。このところの国際金融市場では米長期金利の上昇一服に伴う米ドル高圧力の後退に加え、原油をはじめとする国際商品市況の堅調な動きも追い風に通貨リンギ相場は底堅く推移しており、物価安定に資すると期待されることを勘案すれば、国際金融市場が落ち着いた展開をみせるなかでは現行の緩和スタンスによる『様子見』を図る展開が続くであろう。ただし、その行方は新型コロナウイルスの感染動向とワクチン接種の行方がカギを握ることになろう。

図3
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図4
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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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