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2026.03.17
国際秩序
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危機管理投資を国家の繁栄に繋げるために
~企業のリスク管理の考え方を国家に援用して~
石附 賢実
- 目次
1. リスク管理の目的は価値創造にある
昨今の日本を取り巻く安全保障環境は「戦後最も厳しく複雑」(令和7年版防衛白書)なものとされるが、日々の暮らしのなかで、なかなか身近なものとして感じづらい。そのような問題意識の下、筆者は過去のレポートでも、不正の三角形(Fraud Triangle、注1)など企業のリスク管理の視点から安全保障を論じてきた。
企業におけるリスク管理は、しばしば「リスクを減らす仕組み」として理解されがちである。しかし、COSOのERM(Enterprise Risk Management、注2)フレームワークなどが示すように、その目的は企業価値の向上や戦略目標の達成にある。リスクをゼロにすること自体は目的ではなく、リスクを適切に管理しながら企業価値を守り、創造することが重要とされる。
実際、企業は競争の中で成長するために一定のリスクを取らざるを得ない。新しい事業への参入、新技術への投資、海外展開などはいずれも不確実性を伴う意思決定である。リスクを完全に回避すれば安全ではあるが、同時に成長機会も失うことになる。リスク管理とは、こうした不確実性を前提に、企業の戦略を実行可能にする仕組みである。
この視点は国家にも一定程度あてはまる。国家もまた、不確実な外部環境のなかで持続的な成長と安定を実現するため、さまざまなリスクに向き合わなければならない。安全保障や危機管理は、単なる軍事・防災の話にとどまらず、国家の存立を支え、経済活動や国民生活の基盤を守るとともに、将来の繁栄や価値創造を支える仕組みと捉えることができる。企業にとってリスク管理が戦略遂行の前提であるように、国家にとっても危機管理能力の確保は安定と発展の前提条件である。
2. 安全保障環境の変化と、国家における「許容できないリスク」
もっとも、国家の危機管理は企業のリスク管理と決定的に異なる点がある。企業は一定のリスクを取りながら成長を目指す一方、状況によっては撤退や縮小、事業見直しという選択肢を持ちうる。しかし国家には、そうした柔軟な撤退が許されにくい領域が存在する。国民の生命・財産、主権の侵害、領土の喪失、武力による威嚇や侵略が重大な被害を及ぼす事態などは、一度発生すれば回復が極めて困難であり、国家の存立そのものを揺るがしかねない。
近年の国際環境を見ると、こうした国家特有のリスクの重みは増している。ロシアによるウクライナ侵略は、国際法や主権尊重といった原則だけでは秩序の安定が十分に保たれない現実を改めて示した。さらに、大国間競争の激化や軍事力を背景とした圧力の強まりによって、国際政治における抑止力の重みは相対的に高まっている。日本のようなミドルパワー国家にとっては、既存の国際ルールを前提とした「法の支配」の重要性を強調することにとどまらず、自国を守るための備えを強化することが不可欠になっている。
このような領域では、国家は事実上容認できない、いわばゼロトレランス(zero tolerance、注3)の姿勢をとらざるを得ない。すなわち、そもそも発生させないための抑止力を確保することが政策の中心となる。国家の危機管理投資の出発点は、この「許容できないリスク」への備えにある。国家の存立を守るための抑止力が確保されてはじめて、経済成長や社会発展を支える政策を安定的に展開することが可能になる。
3. 危機管理投資という政策概念とリスク選好(risk appetite)
企業のリスク管理では、経営陣がどの程度のリスクを許容するかを示す「リスク選好(risk appetite)」(注4)という概念が重視される。企業は一定のリスクを受け入れることで成長機会を追求するため、どの領域でどの程度のリスクを許容するかを戦略として定める必要がある。
一方、国家の場合は、すべての領域で同じようにリスクを許容できるわけではない。先述の通り、国家の存立そのものに関わる領域では、リスクを許容しない姿勢が求められる。他方で、技術開発、供給網再編、インフラ強靭化、経済安全保障といった分野では、一定の不確実性を伴いながらも将来の安定と成長につながる政策判断が必要になる。国家の危機管理投資は、このようなリスク許容の構造の違いを踏まえて設計される必要がある。
国家の危機管理投資は、大きく三つの側面から整理することができる。
第一は「抑止(Deterrence)」である。侵略や紛争、重大な威嚇を未然に防ぎ、国家の存立を守るための基盤である。防衛力の整備や同盟・協力関係の強化は、この側面に位置づけられる。国家にとって最も重要なのは、深刻な危機を実際に発生させないことであり、危機管理投資の出発点はここにある。
第二は「レジリエンス(Resilience)」である。危機が発生した場合でも、社会・経済活動を維持し、被害を局限し、回復につなげる能力である。災害に対する強靭化、サプライチェーンの強靭化、重要インフラの防護、サイバーセキュリティ、エネルギー・食料の安定供給体制の確保などがこれに含まれる。
第三は「繁栄(Prosperity)」である。危機管理投資は、防衛や防護のための支出にとどまらず、中長期的には技術革新や産業競争力の強化にもつながりうる。宇宙、AI、半導体、量子、サイバーといった分野では、安全保障と産業政策の境界は曖昧になっている。こうした分野への投資は、危機への備えであると同時に、将来の成長基盤を形成する意味を持つ。
これら三つの側面は相互に連関しており、相互排他的な区分ではない。抑止が弱ければ社会の安定は損なわれ、レジリエンスが弱ければ危機の影響は経済活動や生活基盤に深刻な打撃を与える。そして、こうした基盤が整ってはじめて、技術革新や産業発展を通じた繁栄を持続的に実現することができる(資料)。
また、危機管理投資は研究開発や人材育成を通じて産業基盤の高度化を促しうる。とりわけデュアルユース技術が重要性を増す現在では、その成果が民生分野にも波及し、中長期的には競争力強化や経済成長に資する可能性がある。

4. 危機管理投資をどう位置付けるか
近年の日本の政策議論では、安全保障政策と経済政策がしばしば対立的に語られる。防衛力の強化や安全保障関連の支出は「コスト」とみなされ、その分だけ他の政策に使える財源が減るという構図で理解されることも少なくない。しかし、安全保障が揺らげば、経済活動や社会生活の前提そのものが不安定になる。先に述べた通り、企業がリスク管理を通じて事業継続の基盤を整えるように、国家においても危機管理能力は成長や分配を支える制度的基盤である。
むしろ重要なのは、安全保障政策と経済政策をどのように統合して考えるかである。足元の高市政権も、「責任ある積極財政」の下で危機管理投資と成長投資を併せて進め、外交・安全保障政策と経済政策を一体的に強化する姿勢を打ち出している。先端技術、重要インフラ、供給網、デュアルユース技術などの分野では、危機への備えと産業競争力の強化が同時に進む可能性がある。危機管理投資を単なるリスク管理としてではなく、国家の持続可能性と競争力を支える戦略的な基盤整備として位置づけることが求められる。
さらに、危機管理投資を国家戦略として進めるにあたっては、政策の中身だけでなく、その意思決定のあり方も重要である。企業の内部統制やリスク管理において、重要な判断について、監督、情報開示、ステークホルダーとの対話が求められるのと同様に、国家運営においても必要な透明性と説明責任が不可欠である。それは、法の支配の下で、民主的統制と熟議を通じて政策の正統性を担保するためでもある。最大のステークホルダーである国民の理解と信頼は、抽象的な支持によって成り立つものではなく、国会における熟議、政策目的や優先順位の明確化、可能な範囲での情報開示、そして継続的な検証と見直しを通じて支えられる。日本成長戦略会議においても、危機管理投資を構成する分野ごとの検討が進められている。重要なのは、そうした議論を個別分野の積み上げにとどめず、政策目的や優先順位を国民に見える形で統合的に示していくことである。
国家の危機管理投資とは、リスクを最小化するための支出ではなく、国家の存立と社会・経済の安定を支え、国民生活の安心と持続的な繁栄・成長の可能性を切り開くための投資である。
【注釈】
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不正の三角形とは、不正が発生する要因を、「動機」「機会」「正当化」の三つの側面から説明する考え方。独裁者の侵略行為にも当てはまる(石附(2023)参照)。
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COSOのERM(Enterprise Risk Management)フレームワークとはCommittee of Sponsoring Organizations of the Treadway Commissionが公表した全社的リスク管理の枠組み。米国で不正会計問題への関心が高まるなかで設置されたCOSOが示したもので、企業が不確実性に対応しながら、戦略目標の達成と企業価値の向上を図る枠組みを整理している。
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ゼロトレランス(zero tolerance)とは、一定の行為や事態を例外なく許容せず、発生そのものを防ぐことを基本とする考え方。
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リスク選好(risk appetite)とは、組織が目標達成に向けて、どの程度のリスクを受け入れるかについて示す基本的な考え方。
【参考文献】
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石附賢実(2023)「未来の侵略の『正当化』に繋がる悪しき前例~ウクライナと中東情勢のもたらすもの、企業のリスク管理視点からの安全保障~」
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石附賢実(2026)「衆院選、「生活者支援」と「安全保障」は切り離せない」
石附 賢実
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。

