ユニバーサル社会への扉(5):誰も取り残さない観光

~ウルグアイのソーシャル・ツーリズムを例として~

水野 映子

目次

ソーシャル・ツーリズムとは

筆者がかつて観光に関する活動に携わっていたウルグアイ*1には、スペイン語でTurismo Social(トゥリスモ・ソシアル)というしくみがある。Turismo Socialは、英語ではSocial Tourismと呼ばれ、日本語ではソーシャル・ツーリズムというカタカナ表記が主に用いられる。ソーシャル・ツーリズムの概念は多様であり一義的ではないが、大まかにいえば経済的・身体的理由などにより観光を享受しにくい人が観光に参加できるようにすることを意味することが多く、ヨーロッパを中心に進められてきたとされている*2。現在の日本でこの言葉が一般の人に使われることはほとんどないが、かつては政策に取り入れられたこともある*3

ウルグアイの観光省は、ソーシャル・ツーリズムの一環として、2006年から高齢者(退職者・年金受給者)、生徒、若者、勤労者とその家族などを対象とする国内旅行ツアーのプログラムを提供してきた。参加費は通常の旅行より安く設定されており、参加者の経済状況によってはさらに補助が受けられる場合もある。2019年には、約5千人がこのツアーに参加したと報告されている*4

また、2015年からは、観光省の観光アクセシビリティグループ(アクセシブル・ツーリズムを推進するチーム)の協力のもと、ソーシャル・ツーリズムの担当部門による障害者のツアーの試行も始まった。2019年末までの5年間に、視覚障害者・聴覚障害者・ダウン症の人などの団体のツアーが13回実施された。

ウルグアイの高齢者・障害者ツアーに同行して

筆者は、前述の観光アクセシビリティグループに所属していた2018・2019年に、ソーシャル・ツーリズムの高齢者向けのツアーに2回、障害者を中心とする団体のツアーに4回同行する機会を得た。以下にその概要を述べる。

高齢者向けのツアー(写真1)の参加者は、それぞれ60~80代の男女40数名で構成されていた。平均的には元気そうな高齢者が多かったが、足腰の弱い人や持病のある人もいた。一方の障害者向けのツアーには、各回それぞれ視覚障害者の団体、知的障害者の団体、障害者・高齢者混合の団体に所属する人とその家族、および聴覚障害のある学生と学校関係者(教員、手話通訳者など)が参加していた。日程は2泊が4回、1泊と日帰りが各1回であり、いずれも貸し切りバスで国内を移動した。

訪れた観光地や宿泊施設は、高齢者や障害者にとって必ずしも物理的に十分整った場所ではなかったが、視覚や肢体に障害のある人(車いす使用者を含む)の移動は、必要に応じてスタッフが手助けをした。また、糖尿病・高血圧などによる食事制限のある人にはそれぞれに対応したメニューを用意する、視覚障害者には手触り・音・香りで楽しめるようガイドするなど、サービス面での配慮や工夫もあった。一方、手話を使う聴覚障害学生のツアーでは、主に同行した手話通訳者が地元の観光ガイドの口頭での説明を通訳したが、観光ガイドの中には自ら手話で説明した人もいた。観光しにくい人が観光を享受できるようにするという理念が、これらのツアーには反映されていたといえる。

写真1 ウルグアイのソーシャル・ツーリズムの高齢者向けツアーの参加者が、
博物館を見学している様子
写真1
写真1
2018年にタクアレンボー県にて筆者撮影

「権利」の視点と「ビジネス」の視点

筆者がウルグアイ観光省のソーシャル・ツーリズムやアクセシブル・ツーリズムにかかわる中で、たびたび目にしたのは「権利」という言葉である。例えば、ソーシャル・ツーリズムの市民向けの看板やポスター、パンフレットなどには、必ずといってよいほど「全ての人の権利」というフレーズが書かれていた(写真2)。また、観光省の他の資料やウェブサイトなどでも、観光や自由時間・余暇の権利についての記載があり、その権利をすべての人が行使するためのものとしてソーシャル・ツーリズムやアクセシブル・ツーリズムが位置づけられている。

観光の「権利」という考え方は、ウルグアイ特有のものではない。国連世界観光機関(UNWTO)の「世界観光倫理憲章」(1999年採択)には「第7条 観光をする権利(Right to Tourism)」という項目があり、その冒頭には「直接的に、個人的に、地球の魅力を発見し、楽しむという側面は、全世界の住民に平等に開かれている権利である」と明記されている。また、「社会的観光(中略)が、公的機関の支援の下で、発展させられるべき」「家族、青少年、学生、高齢者による観光と体が不自由な方のための観光は、奨励され、円滑化が図られるべき」*5との記述もある。ウルグアイのソーシャル・ツーリズムやアクセシブル・ツーリズムは、まさにこの考えに沿ったものといえる。

一方、日本のアクセシブル・ツーリズム(ユニバーサル・ツーリズム)の分野で「権利」という言葉を見聞きすることは、ウルグアイに比べるとかなり少ない。また、ソーシャル・ツーリズムに関しては、前述のようにその用語自体が現在ではほとんど使われない。

その代わり、日本でアクセシブル・ツーリズムなどを推進する上でしばしば前提とされるのは、「ビジネス」の視点、すなわち人口が増加し続けている高齢者に対応することが観光需要の喚起や市場の拡大につながるという考え方である。少子高齢化が進んで世界有数の高齢社会となった国だからこそ、こうした視点がより強調されるものと思われる。

観光の権利を保障するという視点とともに、ビジネスの機会を拡大するという視点で高齢者・障害者への対応を進めることは、ウルグアイなどでも重要とされている。日本において後者の視点が浸透しているとすれば、それ自体はもちろん悪いことではない。

だが、もしビジネスの視点だけで進めると、市場の対象になりにくい人々 ―例えば重い障害・病気の人、特別な配慮を必要とする人、経済的余裕がない人など― は観光が難しいままになる可能性もある。「権利」と「ビジネス」のどちらの視点も大切にしながら、“誰も取り残さない観光”“誰もが楽しめる観光”のしくみを考える必要があるだろう。

写真2 「観光 ー 全ての人の権利(turismo - un derecho de todos)」と書かれた、
ウルグアイ観光省のソーシャル・ツーリズムの看板
写真2
写真2
2018年に首都モンテビデオにて筆者撮影
【注釈】

1)筆者は2018年1月~2020年1月の2年間、ウルグアイの観光省でアクセシブル・ツーリズム(障害の有無や年齢などにかかわらず誰もが楽しめる観光、ユニバーサル・ツーリズムともいう)を推進するボランティア活動に携わっていた。詳細は以下を参照。
水野映子「ウルグアイ通信(1) 『遠くて遠い』国にやって来て」2018年5月

2)大島(2019)、大橋(2015)、溝尾(2009)など。

3)旧総理府(1980)によれば、日本では1955年に政府の観光事業審議会に「ソーシアル・ツーリズム研究部会」が設けられ、その報告をもとに1950年代後半に国民宿舎・青年の家・ユースホステルといった低廉な宿泊施設が整備された。

4)ウルグアイのソーシャル・ツーリズムには、このツアーのほか、特定の層が安い価格で利用できる宿泊施設などもある。 ウルグアイ観光省のソーシャル・ツーリズム全般、および2019年の状況については、それぞれ以下のウェブページ(スペイン語)に詳細が記載されている。なお、 2020年の新型コロナウイルス感染拡大以降、ツアーは中止されている。
https://www.gub.uy/ministerio-turismo/turismosocial
https://presidencia.gub.uy/sala-de-medios/audios/audios-breves/kechichian-turismo-social-balance

5)「世界観光倫理憲章」の英語版などの各国語版は以下に掲載されている。日本語版(国連世界観光機関 駐日事務所 2017)における「社会的観光」は、英語版におけるsocial tourismにあたる。
https://www.unwto.org/global-code-of-ethics-for-tourism

【引用文献】
  • 大島安奈「アクセシブル・ユニバーサル・ソーシャルツーリズム概念の整理」『日本観光研究学会全国大会学術論文集』34、2019年

  • 大橋昭一「近年におけるソーシャルツーリズムの展開」『観光学』13、2015年

  • 国連世界観光機関 駐日事務所『世界観光倫理憲章 ―責任ある観光のために―』2017年

  • 総理府『観光行政百年と観光政策審議会三十年の歩み』ぎょうせい、1980年

  • 溝尾良隆『観光学全集 第1巻 観光学の基礎』原書房、2009年

水野 映子


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