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弱い消費支出の「からくり」

~本当は所得が増加している~

熊野 英生

要旨

家計消費支出は、コロナ禍でずっと低迷している。しかし、家計の可処分所得はそこそこに増加基調である。つまり、消費性向が趨勢的に下がったままであることが、消費低迷の犯人である。物価上昇は将来不安を高めて、消費性向を押し下げている。政府は、その状況を変革する処方箋を推進していく必要がある。

目次

戻りにくい消費水準

コロナ禍での景気回復は、どうしても緩やかである。理由は、個人消費の戻りがたどたどしいからである。7~9月のGDP統計(一次速報)では、家計最終消費支出が実質・前期比0.3%、名目同1.2%と弱かった(図表1)。物価上昇によって、実質の伸びが食われていることが大きい。2022年に入ってから3四半期ほど、物価上昇による消費の下押しが大きい。

図表1
図表1

実は、それ以外にも要因がある。それは消費性向、つまり可処分所得の中から消費支出に回っていく割合が低下したまま戻らないことがある。コロナ禍では、外出を躊躇する人が増えて、サービス消費などが一時的に著しく減った。ウィズ・コロナの中で、消費全体は復調しているのだが、元の水準には戻りにくい。そのインパクトは、物価要因で実質消費が減るだけでなく、消費性向が低いことも大きいとみられる。

エコノミストたちの間では、「消費は元に戻りにくい」というのが共通認識になっているが、所得が堅調に増え続けている事実は、あまり注目されていない。名目雇用者報酬は、2022年1~3月は前期比0.9%、4~6月同0.5%、7~9月同0.3%と増えている。

内閣府は、最近になって、GDP統計の二次速報の後に「家計可処分所得・家計貯蓄率四半期別速報(速報)」を発表してくれるようになった。アウトプットされた消費データの背後にある所得データや消費性向の作用がより詳細にわかって、分析者には嬉しい限りだ。ここでは、実質可処分所得も名目可処分所得も、2020年以降、堅調に増加してきている(図表2)。つまり、所得が増加しているのに、消費性向が低下したまま、コロナ前に復元しておらず、消費の戻りが低調であることがわかる。

図表2
図表2

この様子は、月次の総務省「家計調査」(勤労者世帯)でも同じだ。消費性向が2020~2022年にかけてレベルダウンしていることがわかる(図表3)。単純明快に言えば、コロナ禍で家計はお金を使わない傾向が続いているから、景気の戻りも鈍いということである。

図表3
図表3

給付金も貯蓄に回る

可処分所得が、コロナ禍で落ち込まなかったことは、政府の支援が大きかった。雇用調整助成金を使って、企業のリストラ圧力を封じ込めた。雇用者報酬は、大きく落ち込まずに済んだ。自営業者などにも休業支援金が手厚く支給された。2020年に国民1人10万円の給付金を配った。その後も、政府は住民税非課税世帯に限定して、10万円と5万円の給付金を別途配っている。これらがどのように使われたかという追跡調査は、あまり目にしないが、おそらく消費に回ったのではなく、ほとんどが貯蓄に回ったとみられる。

内閣府の「家計可処分所得・家計貯蓄率四半期別速報(速報)」では、「その他の経常移転(純)」という区分で、2020年4~6月から2022年4~6月までの約2年間に累計63.1兆円もの資金が家計所得を押し上げている。これらは、非定例的な政府の支援による効果が大きい。

しかし、家計支援が配られるという安心感によって、低下した消費性向を押し上げてはいないようだ。2020年以降の家計貯蓄率は、一貫して高止まっているからだ(図表4)。家計貯蓄率=100%-消費性向で表される。この家計貯蓄率が高止まっていることは、同時に消費性向が低水準のままであることを示している。

図表4
図表4

物価上昇の重石

では、なぜ消費性向は低下したままなのだろうか。コロナ感染への恐怖感が根強く残っているからなのか。

筆者は、物価上昇が将来に備えるように家計心理を向かわせたと考える。過去のインフレ期にも、家計貯蓄率が上がることはあった。現在に生活コストではなく、将来の生活コストが増えることをより大きく恐れて家計は貯蓄を増やす。食料品やエネルギーの値上がりは、消費の前倒しを促さないことは明らかだ。逆に、値上がりを嫌気して買い控えが起こる。そして、家計は将来はもっと値上がりすると困ると考えて、現在の消費を抑制する代わりに資金を積み立てている。

パスワードは賃上げ

こうした物価上昇による消費性向の低下をどのように打開すればよいのだろうか。これは、日本経済の前に立ちはだかる「壁」のような課題である。本稿の最後は、それを考えたい。

将来支出が増えると困るから、現在貯蓄を増やすという関係は、家計の時間選好が変わったことを意味する。現在志向から将来志向へのシフトである。そう考えると、将来不安を減らしてやると、現在消費は増えると推論することができる。従来、社会保障の不安定さとか、財政悪化の不安などが、将来不安の原因とされた。物価上昇が生み出す不安の中身は、将来所得が思うように増えそうにはないというものだろう。ならば、将来所得が右肩上がりで増えていくような期待感が生み出せれば、将来不安が緩和されて、家計の消費性向も変わっていくだろう。一時的な減税、給付金では、そうした長い先までの将来不安を解消できない。

将来の所得不安を解消するには、ベースアップ率を上げることが打開策のひとつになる。来年以降の賃金が底上げされると、家計は見方を変える。従来は、0.2~0.5%に過ぎなかったベースアップ率が1%近くになれば、ある程度は将来所得の見通しが改善するとみる。

賃上げは、消費性向が低下したままであるという謎を解くためのひとつのパスワードである。もしも、このパスワードで消費の扉が開かなければ、経済政策はもっと違った処方箋を入力して、消費の扉を開こうとすればよい。政府には、家計の安心感を醸成するような本質的な対応を様々に打つことが望まれる。

熊野 英生


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。