タイ・セター政権が内閣改造、経済や外交で成果をあげられるか

~金融政策を巡る政府と中銀の対立解消、ミャンマー和平仲介交渉などでの成果を目指している模様~

西濵 徹

要旨
  • タイでは昨年5月の総選挙を経た政党間連立によりタクシン派のセター政権が発足した。セター首相は財務相を兼務して経済優先姿勢をみせるも、ASEAN内でコロナ禍からの回復が遅れている。足下のインフレは補助金政策も奏功してマイナスで推移しており、セター首相は中銀に利下げを求めて圧力を掛けている。しかし、中銀は足下のインフレ鈍化が政策による一時的な動きであり、政権のバラ撒き政策や家計債務を巡るリスク、バーツ安を警戒して慎重姿勢を崩さず対立の様相を強める。こうしたなか、セター政権発足後初の内閣改造を実施し、セター氏が兼務してきた財務相にピチャイ氏を据えるなど中銀との政策協調を目指す姿勢をみせる。他方、外相であったバーンプリー氏が事実上の降格を受けて辞任するなど足並みの乱れも表面化した。後任にはマリス氏が就くなど外交政策の継続性を重視したとみられる。ただし、貢献党のみならず、連立政党との足並みの乱れも露呈しており、経済、外交で勝機を見出せるかは未知数といえる。

タイでは、昨年5月に実施された総選挙を経て、いわゆる『タクシン派』のタイ貢献党のほか、中道右派政党や親軍政党も連立に加わる形でセター政権が発足したが、多数の政党による寄り合い所帯感が強いなか、民間出身のセター首相は財務相を兼任するとともに政党間で意見の不一致が表面化しにくい経済政策を重視する姿勢をみせてきた(注1)しかし、同国経済は構造的にASEAN(東南アジア諸国連合)内でも相対的に外需依存度が高く、中国経済に対する依存度も高いなか、ASEAN主要国のなかでコロナ禍からの立ち直りが最も遅れる展開が続いている。さらに、ここ数年の商品高や米ドル高などによるインフレに際して中銀は物価と為替の安定を目的に累計200bpの利上げを実施しており、同国はアジア太平洋地域のなかで家計債務のGDP比率が相対的に高く、利上げの累積効果による家計消費への悪影響が出やすいことも景気の足を引っ張る一因になっている。なお、一昨年末以降の商品高や米ドル高の一服に加え、昨年5月にプラユット前政権がエネルギー補助金による物価抑制に動いたことも重なり、その後のインフレは頭打ちの動きを強めており、足下のインフレ率は過去6ヶ月に亘ってマイナスとなるなど一見落ち着いた推移をみせている。よって、セター首相は景気下支えを目的に中銀に対して公然と利下げを要求するなど『圧力』を強める動きをみせているが(注2)、中銀は政府からの圧力に静観する構えをみせるとともに、先月の定例会合でもあらためて様子見姿勢を維持する考えをみせている(注3)。中銀はこうした判断を下した背景に、セター政権が実施するバラ撒き政策(現金給付策)による財政や物価への影響に加え、利上げ実施にも拘らず膨張が続く家計債務を巡るリスク、金融市場における通貨バーツ安による輸入インフレ懸念の高まりなどをあげる。なお、先月以降の国際金融市場は『米ドル一強』の様相を強めており、新興国のなかには通貨防衛の観点から利上げや為替介入に追い込まれる動きがみられるなか(注4)、足下のバーツ相場は調整の動きを強めるなど中銀は難しい対応を迫られる状況に直面している。こうしたなか、セター首相は昨年9月の政権発足後初となる内閣改造を行い、政権発足以来セター氏が兼任してきた財務相(兼副首相)に証券取引所の前理事長であるピチャイ氏を据えた。ピチャイ氏は過去にタイ石油公社(PTT)やタイ国際航空などの経営に携わった経験のほか、中銀の政策委員を務めたこともあり、上述のように金融政策を巡ってセター政権と中銀の間で対立が顕在化するなかで事態打開を目指しているものと捉えられる。他方、今回の内閣改造ではタイ貢献党の幹部が相次いで主要ポストに就任するなど、同党の実質的指導者であるタクシン元首相の意向が働いたとされる一方、副首相兼外相であったバーンプリー氏が副首相を外される事実上の『降格』を受けて外相を辞任するなど混乱も表面化した。バーンプリー氏はパレスチナ自治区ガザで多数のタイ人が拘束された問題を巡って解放に尽力するとともに、隣国のミャンマー問題を巡る和平仲介交渉の先頭に立つなど一定の成果を挙げてきたなか、突然の降格を受けて不満を爆発させた可能性が考えられる。バーンプリー氏の辞任を受けて、後任の外相には元外交官で在オーストラリア大使や在カナダ大使を歴任し、直近はバーンプリー氏の顧問を務めたマリス氏を据えるなど外交方針の継続性を重視した動きをみせている。ただし、バーンプリー氏は長年政治家として様々な外交交渉に携わってきた一方、硬直状態が長期化するなかで複雑さを増すミャンマー問題を巡って職業外交官であるマリス氏が具体的な成果に繋げることが出来るかは極めて不透明とみられる。今回の内閣改造を巡っては、タイ貢献党内のみならず、連立に加わる政党間の足並みの乱れが露呈する動きもみられるなか、セター政権が経済、外交の両面で勝機を見出すことが出来るか、現状は見通すことは極めて難しい状況にあると判断できる。

図1 インフレ率の推移
図1 インフレ率の推移

図2 バーツ相場(対ドル)の推移
図2 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上


西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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