タイ憲法裁、民主派の前進党に対して「違憲」の判断

~民主派への弾圧を一段と強めるなど、「微笑みの国」の実像は民主化が大きく後退する展開~

西濵 徹

要旨
  • タイの憲法裁は31日、昨年の総選挙で第1党となった前進党が掲げた不敬罪緩和の公約について違憲とするとともに、当時のピター党首にも同様に違憲とする判決を下した。保守派や親軍派の妨害工作を経て同党を中心とする政権樹立は失敗に終わるとともに、「圧力」を強める動きをみせた。先月24日に憲法裁はピター氏の議員資格を回復する決定を下したが、これを巡っては保守派や親軍派への不満を強める民主派への「ガス抜き」との見方もあった。今回の決定により保守派の政治活動家が同党の解党請求を申し立てるとみられ、仮に解党命令が下れば同党支持者などによるデモに発展するなど分断の動きが広がる懸念もくすぶる。現時点でバーツ相場は影響を受けていないが、実体経済への影響を含めて要注意と言える。

タイの憲法裁判所は31日、昨年実施された議員下院(人民代表院)総選挙において第1党となった民主派の前進党が掲げた公約(不敬罪の緩和)について、こうした公約が「国王を国家元首とする民主主義体制を転覆させる試み」に当たるとして違憲とするとともに、総選挙の際に党首であったピター下院議員についても同様に違憲とした上で意見表明や宣伝活動の中止を命じる判決を下した。同党を巡っては、総選挙において『反軍政』を謳うとともに、不敬罪の緩和や徴兵制の廃止といった急進的な公約を掲げることで第1党となるなど大躍進を果たした。同党がこうした急進的な公約を掲げた背景には、同国では国王が絶対的な権威を有するとともに王室制度改革は『タブー』とされており、2019年に実施された総選挙を経た民政移管の後も国軍が王室を後ろ盾に親軍派を通じて政治的影響力を行使する展開が続いており、不敬罪の存在が国民の言論の自由を抑制していることを問題視したことがある。ただし、同党のこうした姿勢は親軍派や保守派からの根強い拒否感を招くとともに、様々な形で総選挙後の同党を中心とする多数派工作を妨害するとともに失敗に持ち込むことに繋がった。結果、総選挙で同党に次ぐ第2党となったいわゆる『タクシン派』のタイ貢献党を中心に、親軍派や保守派を併せた計11党による大連立が形成されるとともに、貢献党のセター氏を首班にする形で政権樹立が図られた(注1)。同党を巡っては、その前身である新未来党が2019年の総選挙において親軍派の当時のプラユット政権の退陣などを訴えて第3党となる躍進を果たしたものの、その後にタナトーン党首(当時)が立候補資格要件を満たさないことを理由に議員資格をはく奪されたほか(注2)、同氏が同党に実施した融資が政党法違反に当たることを理由に解党命令が下されるなど『圧力』の対象となってきた。その後に新未来党は前進党に改組した上で、上述のように昨年の総選挙では第1党に一段と躍進を果たしたものの、選挙管理委員会が憲法裁判所にピター党首の総選挙への立候補資格の無効を訴えたほか、保守派の弁護士が憲法裁判所に対して同党とピター党首が掲げる公約が憲法違反に当たるか否かの判断を求める訴えを起こした。選挙管理委員会による訴えを受けて、憲法裁判所は訴えを受理した上で審理中のピター氏の議員資格を一時停止する判断を下したため、ピター氏は党首の辞任を余儀なくされたものの、先月24日に憲法裁判所は選挙管理委員会の訴えを棄却してピター氏の議員資格を回復させる決定を下した(注3)。ただし、軍事政権下に選出された裁判官で占められる憲法裁判所の判断を巡っては、親軍派や保守派の妨害工作や司法クーデターが相次ぎ民主派の間に不満が高まるなかで『ガス抜き』的な意味合いが強いとの見方もくすぶっていた。今回、同党及びピター氏に対して違憲とする判決が下されたことにより、今後は保守派の政治活動家などが選挙管理委員会に対して同党の解党請求を申し立てるとみられるほか、仮に解党処分が下されれば同党幹部は政治活動を禁じられ、同党に所属する議員も全員が失職するとともに、ピター氏の身柄拘束といった事態に発展する可能性も考えられる。なお、上述のように2020年に前進党の前身である新未来党に対して解党命令が下された後には、同党を支持する若年層などを中心に民主化や王室改革を要求するデモが活発化したほか、当時のプラユット政権は不敬罪を援用して適用する形でデモ活動への取り締まりを強化して抑えつけを図るも、反って国民の間の『分断』が広がる事態に発展した(注4)。今回も同様にデモが活発化する可能性がある一方、当時のプラユット政権はコロナ禍対応を理由に抑えつけることが可能であったものの、足下においてはそうした『手』を使うことが出来ないことが事態収拾を一段と難しいものにする可能性がある。金融市場は同国の政局の混乱に『慣れっこ』になっていると判断出来る上、足下のバーツ相場の動きに影響を与えていないとみられるものの、今後の動向については実体経済への影響を含めて注視する必要がある。

図 1 バーツ相場(対ドル)の推移
図 1 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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