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賃金上昇の「真の姿」を確かめる

~「毎月勤労統計」以外を使った分析~

熊野 英生

目次

下方バイアス

賃上げは、現在、最も注目されているテーマだ。ところが、賃金統計がそれを正しく示しているのかどうかは疑わしい。賃金統計と言えば、厚生労働省「毎月勤労統計」を使うのが一般的だ。現金給与総額=賃金として、月次の変化に注目が集まっている。残念ながら、今のところ、その賃金の伸び率(前年比)は低調だ。2023年7月1.1%、8月0.8%、9月0.6%、10月1.5%と推移している。そこから物価上昇を差し引いた実質賃金は、ずっとマイナスで推移している(図表1)。

図表1
図表1

毎月勤労統計の賃金は、低く表れすぎているという指摘を筆者はよく耳にする。賃金が低く表れる理由には、ひとつの根拠がある。それは非正規化の影響だ。パート・アルバイトの割合が上昇すると、構成の内訳でより低賃金な雇用者が増えることになるため、1人当たり賃金の平均値が下がる。増加する雇用が専ら非正規労働者の場合は、賃金が押し下げられやすい。この傾向は、高齢化が進んで、企業内で継続雇用される代わりに、非正規扱いになる社員が増えるほどに強まる。

だから、たとえ正社員1人の賃金が春闘で増えても、それが賃金統計には反映されにくくなる。労働市場では、正社員から非正規に転換してシニアで働き続ける人が増えたため、正社員+非正規労働者の平均給与の伸び率が鈍くなっているという作用だ。この作用は、日本全体の雇用者数を増やしているため、マクロ消費に対しては決してマイナスではない。見た目には「賃上げが進みにくい」と見えて、印象が悪いが、実質的にはそれほど悪いことが起こっている訳ではないと考えてよい。

次善策としてのマクロ賃金アプローチ

筆者は、毎月勤労統計を使わないで、賃金動向を探ってみた。毎月勤労統計に替えて、マクロ賃金(=名目雇用者報酬)を内閣府のGDP統計から引用し、さらにマクロ雇用者数(=労働力調査の総雇用者数)で割ることで、1人当たり雇用者の平均賃金を求めることにした。筆者は、これをマクロ賃金アプローチと呼んでいる。こうすることで、毎月勤労統計のサンプル替えなどのバイアスを極力排除できる。

また、毎月勤労統計は、非正規比率の部分が、サンプル調査であるためにばらついている可能性がある。労働力調査を基礎統計にすることで、その歪みはいくらか是正されると考えた。

さらに、毎月勤労統計には、常用雇用者を対象としている問題もある。マクロ賃金・雇用者数を用いることで、全雇用者をカバーできるので、より真の値に近づけるのではないかとも考えた。

その計算方法は、名目雇用者報酬(季節調整値)を、総雇用者数(季節調整値)で割る方法だ。その結果は、1人当たり賃金は493.8万円(2023年7-9月)となっている。これは、前年比で1.0%の増加率になった(図表2)。

図表2
図表2

こうしたマクロ賃金アプローチの結果、求められたデータは、実際のところ、毎月勤労統計の名目賃金データと比べて、あまり大きな差がなかった(図表3)。正直なところ、次善の策で分析すると、別の姿が見えるかと筆者は思ったが、必ずしもそうではなかった。

図表3
図表3

その理由を考えてみると、内閣府のGDP統計も、厚生労働省「毎月勤労統計」を使用して推計しているから、その影響が大きいと言える。毎月勤労統計の歪みが、名目雇用者報酬にも大きく反映しているということだ。

別の解釈をすると、毎月勤労統計はそもそも正しく、実際に賃金上昇はそれほど大きくはないという見方もできる。

第3のアプローチ

筆者は、さらに別のアプローチを考えてみた。財務省「法人企業統計」を使う方法だ。

法人企業統計には、企業の人件費と従業員数のデータがある。従業員・給与+従業員・賞与を、従業員数で割って、1人当たりの賃金を求める。さらに、その前年比を求めてグラフにしてみた(図表4)。

図表4
図表4

驚くことに、毎月勤労統計の賃金と、法人企業統計の賃金はよく似た推移である。両者は全く別の統計である。ならば、前述の仮説のうち、「毎月勤労統計はそもそも正しい」という見方はサポートされることになる。

ただし、子細にみると、毎月勤労統計の賃金の方が2021年7-9月以降は低くなっているという違いがある。だいたい、両者の差は1~2%はある。この部分の説明は、法人企業統計のサンプルが、資本金1,000万円以上の規模の企業であり、毎月勤労統計の方は1,000万円未満を含んでいる(毎月勤労統計は5人以上の事業所が対象)。つまり、資本金1,000万円未満の零細企業は業績が思わしくはなく、賃上げが進んでいないという解釈もできる。

※法人企業統計・年報では、2022年度の資本金1,000万円未満の零細企業の従業員数は、全規模の従業員数の19.4%を占めていた。この約2割の従業員の賃上げが全体を▲1~2%ポイントほど押し下げている可能性は十分にある。

結論

筆者は、通常、私たちが使用する毎月勤労統計は、歪んでいて、賃金上昇を十分に反映できていないという先入観を持って分析を始めた。代替的なアプローチを採用して、毎月勤労統計ではない統計データから、1人当たり賃金の動向を探った。その結果、別のアプローチでも、毎月勤労統計の賃金と似たような動きになっていることがわかった。つまり、①毎月勤労統計は、それなりに正しいと言える。

また、法人企業統計の1人当たり賃金は、おおむね毎月勤労統計と同じだが、より高めの伸び率になった。ここからは、資本金1,000万円未満の零細企業の賃金上昇が押し下げ要因になっている可能性があることがわかった。毎月勤労統計は、そうした零細企業の賃上げの弱さが押し下げに寄与している可能性があるということだ。

熊野 英生


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