デジタル国家ウクライナ デジタル国家ウクライナ

ジョンソン元英首相議員辞職の政治的波紋

~首相返り咲きは果たしてあるのか?~

田中 理

要旨
  • 英国のEU離脱を実現したボリス・ジョンソン元首相が9日、突然の議員辞職を表明した。パーティゲートを巡る偽証疑惑の追及で万策尽きたのかと思いきや、本人は政界復帰に並々ならぬ意欲をみせている。次の総選挙での保守党の敗北と自身の議員復職、スナク首相の党首引責辞任で保守党党首に返り咲き、次の次の総選挙での首相再登板のシナリオを思い描いているのだろう。ジョンソン氏が敬愛するウィンストン・チャーチル首相も、第二次世界大戦後にいったん下野した後、首相に返り咲いた。こうした復帰計画の実現には、次の総選挙での議員復帰の是非や、有権者の多くがジョンソン氏の再登板を必ずしも望んでいないハードルがある。今回の辞任劇が英国政局にどのような影響を及ぼすか、今後の世論調査や補欠選挙の結果にまずは注目したい。

今月7日から英国のロンドンを訪れている。9月頃まで滞在し、欧州各地に赴き、現地で調査を行う予定だ。ロンドンに到着した当日は、サッカー・プレミアリーグのウェストハムが欧州カンファレンスリーグ(ECL)を制覇。一夜明けた8日、本拠地であるロンドン東部のストラットフォードでは優勝パレードが行われ、応援歌を熱唱しながら歓喜するファンで溢れていた。ウェストハムは今季のプレミアリーグで14位の中堅チーム。主要な国際大会での優勝は実に58年振りで、現地のニュースはその話題で持ち切りだった。翌9日にはさらに驚きのニュースが飛び込んできた。時差ぼけと戦いながらロンドンでの2日目の仕事を終え、仮住まいに戻ってテレビを付けると、ボリス・ジョンソン元英首相の議員辞職の第一報が流れた。新型コロナウイルスの感染予防措置に違反して首相官邸などでパーティーが開かれていた問題(パーティーゲート)を巡って、ジョンソン氏が議会に虚偽証言をしたとする下院特別委員会の報告書を事前に受け取り、辞職を決断した。

もはや責任追及は免れない、万策尽きての失意の政界引退かと言うと、必ずしもそうではない。ジョンソン氏は自身の発言が議会をミスリードしたことを認めたが、意図的なものではなかったと主張。特別委員会の調査を、不正確な情報や偏見に溢れ、自身を追い出すための「いかさま裁判」であると非難したのだ。ジョンソン氏は辞任声明の中で、ひとまず議会を去るとして、政界復帰の可能性を匂わせている。さらに、自身を首相辞任に追い込んだリシ・スナク首相(当時は財務相)を攻撃。財務相時代はジョンソン氏が進めようとした歳出拡大や減税に待ったをかけ、首相就任後はEUルールを英国から完全に排除するEU離脱(ブレグジット)時の約束を反故にし(スナク氏は首相就任後、EUに再接近している)、米国との自由貿易協定(FTA)締結を諦める(スナク首相は最近の訪米で米英間の経済協力を深める大西洋宣言を発表した)など、真に保守党的ではない政策を推し進めているとして非難した。ジョンソン元首相の議員辞職に続き、同氏に近い2人の閣僚経験者の下院議員が相次いで議員辞職を表明した。これにより近く、少なくとも3つの選挙区で下院の補欠選挙が行われる。下院の特別委員会は、今回のジョンソン氏に対する調査を巡って委員会の公平性に疑問を呈した議員に対する制裁を検討している。こうした動きはジョンソン氏に近い議員の更なる辞職を招く恐れもある。

ジョンソン氏が思い描く復帰構想は次のようなものだろう。現在、保守党は各種の世論調査で最大野党・労働党に20ポイント前後の大幅なリードを許しており、5月の統一地方選でも大敗した。自身が誘発した補欠選挙で保守党は新たな候補者を立てるが苦戦は免れない。その流れのまま、来年にも噂される下院の前倒し議会選挙で保守党は大敗し、労働党政権が誕生する。スナク首相は保守党の党首を引責辞任。そこでジョンソン氏が2019年の総選挙で保守党を地滑り的な勝利に導いた実績を引っ提げ、保守党の立て直しのために党首に再就任する。次の次の総選挙で保守党を勝利に導き、敬愛するウィンストン・チャーチル元首相のように、首相に返り咲くというものだ。今回の辞任劇は、スナク首相に対する個人的な報復と将来の首相復帰を目指したものだ。

ジョンソン氏が議員辞職を公表する直前、同氏の推薦に基づく叙勲者が正式に発表された。英国の首相は、多大な功績のあった人物や一代貴族の称号が与えられる人物を退任時に推薦する。推薦のあった人物を政府や議会の関連委員会が精査し、正式な叙勲者として決定する。今回、最終的に発表された叙勲者のリストからは、ジョンソン氏が推薦した人物のうち何人かが省かれていたとされる。首相周辺は関与を否定するが、ジョンソン氏に近い議員が叙勲を機に議員辞職を決断することを恐れて介入したのではないかとの報道もある。

事がそう上手く運ぶかどうかは別として、こうした一連の決断は実にジョンソン氏らしいギャンブルだ。下院の特別委員会で「黒」と認定されれば、議員辞職は免れそうにない。現在の選挙区でのジョンソン氏の選挙基盤は元々盤石ではない。ブレグジットの結果を覆そうとする穏健派による魔女狩りや政治的陰謀を仄めかし、いったん身を引いてカムバックの機会を窺っているのだろう。こうしたジョンソン氏の復帰プランの実現には、まずは次の総選挙で保守党から出馬し、改めて下院議員となる必要がある。ジョンソン氏に近い議員が保守党の地盤が強固な選挙区をジョンソン氏に明け渡す可能性もある。議会での偽証や感染予防ルール違反を問われ、スナク首相への個人攻撃も厭わないジョンソン氏に新たな選挙区が割り当てられるかどうかは分からない。下院議員という立場を離れたジョンソン氏は、スナク政権批判をさらに強める恐れがあり、別の選挙区での出馬を認め、党内に取り込む方が得策との計算が働く可能性もある。また、議員復帰を果たした場合も、有権者の多くがジョンソン氏の首相復帰を望んでいるかどうかは疑わしい。そもそも現在の保守党の支持率低迷は、ジョンソン氏の政治倫理の欠如や不誠実さ、社会の分断を深める混沌とした政治スタイルにも一因がある。保守党にはうんざりと言う有権者の声が、ジョンソン氏の再登板で覆るとは思えない。

他方で、今回のジョンソン氏の辞任劇と保守党内の分断と混乱を、労働党が次の総選挙での勝利に結びつけられるかどうかも不透明だ。労働党は5月の統一地方選挙で大幅に議席を伸ばしたが、ジョンソン氏の辞任が伝わる前まで、スナク首相就任後の保守党は、各種の世論調査で労働党との差を徐々に縮めていた。来年の総選挙に向けては、投票態度を決めかねている有権者が多い。スナク首相がこうした態度保留者の取り込みに成功すれば、労働党の単独過半数の獲得が難しくなる。逆に今回の辞任劇が保守党の追い上げムードに水を差す場合、労働党の政権交代と過半数確保が確実のものとなる。来年の総選挙の結果を左右しかねない新たな動きもある。今年3月までスコットランドの自治政府を率いていた二コラ・スタージョン元第一首相が11日に逮捕された。スコットランドの独立運動を目的とした献金が、スコットランド人民党(SNP)内で別の用途に利用されていた問題への関与が疑われている。党の幹事長を務めていたスタージョン氏の夫は既に逮捕され、スコットランド内で圧倒的な支持を得ていたSNPの支持率は昨年末頃から急落している。今回のスタージョン氏の逮捕によりSNPの支持が一段と低下する場合、同じ左派政党の労働党が代わりに支持を伸ばす可能性が高い。このことも次の総選挙での労働党の過半数獲得を後押ししよう。

それにしても、ロンドン到着以来、ウェストハムのECL制覇、米英首脳会談と経済協力強化、ジョンソン元首相の議員辞職、今季プレミアリーグ覇者のマンチェスター・シティーによるチャンピオンズリーグ(CL)制覇、そしてスタージョン元スコットランド第一首相の逮捕と、英国関連のビッグニュースが相次いでいる。何やら充実した出張となりそうな予感がある。英国経済を巡っては、長引く物価高騰とイングランド銀行(BOE)の利上げ継続の行方、ブレグジット後の競争力低下などが重要な調査テーマとなろう。まずはジョンソン氏の辞任劇が英国政局にどのような影響を及ぼすか、英国の地から今後の世論調査の変化や補欠選挙の結果に注目したい。

以 上

田中 理


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

田中 理

たなか おさむ

経済調査部 首席エコノミスト(グローバルヘッド)
担当: 海外総括・欧州経済

執筆者の最新レポート

関連レポート

関連テーマ