ライフデザイン白書2024 ライフデザイン白書2024

職場のウェルビーイングを考える①

~心理的安全性の観点から~

髙宮 咲妃

要旨
  • 人口減少による人手不足や技術革新等の外部環境の変化に伴い、企業が働き手を「選ぶ」側から、働き手に「選ばれる」側に移行しつつあることから、多くの企業が従業員一人ひとりのウェルビーイング実現に向けて様々な施策を考えている。
  • その中で近年、多くの企業から注目を集めている概念が「心理的安全性」であり、企業だけではなく国も注目している。
  • 心理的安全性とは、メンバー全員が①無知だと思われる不安②無能だと思われる不安③邪魔をしていると思われる不安④ネガティブだと思われる不安を感じず、部署内で自分が思ったことを発言しても対人関係を損なうことは無いと信じている状態を指す。
  • チーム(部署や組織等)の生産性を高めるためには、心理的安全性の他にもう一つ重要な「目標に対する責任感」という要素がある。その要素が欠けると、メンバーにとって快適で働きやすい職場であっても、一生懸命働くことはなく、生産性は上がらない。
  • 心理的安全性醸成のためにはリーダー(上司等)の役割が非常に重要である。現在は従業員一人ひとりが常に学習し、協力し合わないと成功できない仕事も多く、上司が威圧的な態度で接すること等で生じる不安が、部下の生産性を下げるという研究結果も出ている。
  • 心理的安全性は、企業文化等に左右されずに各チーム(部署等)それぞれが生み出せるものである。心理的安全性の醸成のためにはリーダー(上司等)の役割が重要であることは間違いないが、メンバー自身も自分のチームの心理的安全性の醸成のために貢献することも重要だ。自部署(チーム)の環境作りに自ら貢献していくことでも組織の心理的安全性は少なからず醸成され、部署・組織として何かを成し遂げたときにそれを自分のことのように喜べるようになる。それは職場のウェルビーイング、ひいては自身のウェルビーイングの実現に寄与することになるだろう。
目次

1.職場のウェルビーイングとは

近年、多くの企業が従業員一人ひとりのウェルビーイング実現に向けて様々な施策を考えている。その背景に、人口減少による人手不足や技術革新等の外部環境の変化に伴い、企業が働き手を「選ぶ」側から、働き手に「選ばれる」側に移行しつつあることが挙げられる。未来予測が困難な時代、今までと同じビジネスを続けているだけでは企業は生き残ることが難しくなった。業界や企業規模に関わらず企業内イノベーションが不可欠になっているほか、AIへの代替も並行して進んでおり、同時に即戦力となる有用な働き手から「選ばれる」会社になる企業努力が求められている。

また、企業価値を生み出す源泉が、有形資産から無形資産(特に人的資本)へとシフトしたことも要因の一つだ。従来、人材は「資源」であり、コストをかけて消費・活用するものと考えられていた。現在は、人材は企業価値を生み出すもの、つまり「資本」と捉えられ、未来にリターンを生む投資の対象と考えられるようになった。OECDの定義で人的資本は「個人的、社会的、経済的なウェルビーイングの創出を促進する、個々人に備わった知識・スキル・能力・属性」とされているように、従業員が働きやすい、働きがいのある職場を作り、従業員一人ひとりのウェルビーイングを実現させることは個々人の課題を超えて今や企業の課題にもなっている(注1)。

厚生労働省によると、「Well-being(ウェルビーイング)」とは、「個人の権利や自己実現が保証され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念」とされている(注2)。職場という場面で考えると、「働き方改革」の浸透により、年間総実労働時間や労働者一人平均有給休暇取得率が改善傾向にある(資料1)等、「身体的に良好」という部分については各企業の取組みが実を結んでいるといえる。

図表1
図表1

しかし、従業員一人ひとりのウェルビーイング(幸せで満ち足りた状態)を達成するためには、労働時間や有給休暇の取得しやすさ等の制度面の整備だけでは限界がある。このシリーズでは職場のウェルビーイングをどう達成していくか様々な角度から考えていく。

2.「心理的安全性」という解

近年、多くの企業から注目を集めている概念が「心理的安全性」だ。心理的安全性は1965年にScheinらによって提唱され、その後、Edmondsonが発展させた概念である。Edmondsonは、心理的安全性をチーム構成員一人ひとりの特性ではなく、「チーム全体の特性」として捉え、「自分のチームは仕事をする上で対人関係上のリスクをとっても安全だ、とチームの皆が感じていること」と定義している(注3)。つまり、会社の部署等において、メンバー全員が心理的安全性を損ねる以下の4つの不安(①無知だと思われる不安②無能だと思われる不安③邪魔をしていると思われる不安(注4)④ネガティブだと思われる不安(注5))が無く、部署内で自分が思ったことを発言しても対人関係を損なうことは無いと信じている状態が、心理的安全性である。

心理的安全性は古くからある概念ではあるが、2015年に米国の大手IT企業が発表した「生産性の高いチームの条件は何か」を明らかにする研究結果にて、チームの生産性に影響する最も重要な要素として「心理的安全性」が取り上げられたことで、改めて大きな注目を集めるようになった。

また、企業だけでなく国も注目している。例えば金融庁では、2019年8月に公表した「利用者を中心とした新時代の金融サービス~金融行政のこれまでの実践と今後の方針~」にて、心理的安全性を「一人ひとりが不安を感じることなく、安心して発言・行動できる場の状態や雰囲気」と定義し、金融庁(監督する側)と金融機関(監督される側)の“本音を言えない”関係性を見直す方向性を示している(資料2)。

図表2
図表2

背景には昨今の金融自由化と技術革新がある。金融庁は競争力のある新技術活用等を支援しており、各金融機関への「ルール・ベース」の監督(従来の金融検査)の実施が困難になっている状況である。というのも、ルール・ベースは主として行為規制が中心となり、事前に定められたルールへの該当性で判断する規制手法だが、新しい金融商品や新しい取引手法・形態が次々と登場してきているなかで、あらかじめすべての金融商品や取引手法を想定してルールですべてカバーすることは実質的に不可能だからだ。2008年に基本原則に基づく金融機関の自主的な取組みを促す「プリンシプル・ベース」の監督を行うことが示され、現在はこの手法で実施されている。具体的には、金融機関の戦略や計画、その実行状況について金融機関の役職員との「対話」を通して探り、顧客保護の原則に合致しているかどうかモニタリングする手法である。このとき金融機関の役職員が金融庁に対して「言いたいことを言えない」状態だと的確なモニタリングは実現しない。そこで「心理的安全性」が重要となるのだ。先の金融庁の報告書で示されているように、心理的安全性が確保された対話を進めることによって、金融庁と金融機関の両者が、お互いにこれまで捉えることのできなかった様々な「気づき」を得られ、自発的な創意工夫を発揮する契機となり得る。さらに、これまでみてきたリーダーとチーム構成員との対話場面を超えた金融機関と顧客の関係においても、心理的安全性が確保された対話を継続することで両者の信頼関係の構築が可能となり、顧客本位の営業(≒顧客のウェルビーイング)につながるとして、様々な場面での活用が推進されている。

また、金融庁自身も人材の育成・活用や組織活性化を目的に1on1ミーティング(注6)を実施する等、心理的安全性の高める施策を打ち出している。

3.心理的安全性を高めてウェルビーイングな職場に

職場のパフォーマンスを高めていくうえでリーダー(上司等)はキーマンとなる。たとえば上司が威圧的な態度を取るリーダーシップは、部下の翌日のパフォーマンスを向上させることが研究で分かっている(Mitchell, M. S., & Ambrose, M. L. (2012), Liao, Z., Lee,et al. (2021))。日中の上司の威圧的な態度や虐待的な行動は、その夜には部下のタスクの反芻性(注7)に繋がり、部下の翌日のタスク・パフォーマンス向上をもたらすからである。そのため、上司はそのようなリーダーシップが効果的であると実感しやすい。しかし、それは短期的な成果であり、長期的な目線でみると、上司からそのような指導を受けている部下はそうでない部下よりもパフォーマンスがかなり悪く、上司や会社に対するコミットメントも低いうえに非生産的な勤務態度を取ることがわかっている(Yucheng Zhang & Zhenyu Liao,2015)。脳神経科学の研究でも、上司の威圧的な態度等による「不安への反応」により酸素やブドウ糖等の生理的資源が消費され、ワーキングメモリ(作業記憶)の管理や新情報の処理をする脳領域に届かなくなり、分析的思考、創造的な洞察、問題解決ができなくなる(Rock, D.,2009)との指摘がある。特に現在の職場環境は、従業員一人ひとりが常に学習し、協力をし合わないと成功できない(生産性が上がらない)仕事も多く、「不安を煽る行為」が生産性を下げる行為となる。生産性を上げようとすると威圧的なリーダーシップは逆効果となってしまうのだ。

一方で、前章で示したように心理的安全性を高めることは生産性向上に大いに関わってくることが分かっている。Edmondsonは心理的安全性を高めるためにはリーダーの役割が重要であるとし、その務めとして以下の3つの行動を挙げている(資料3)。

図表3
図表3

職場で心理的安全性を育むと、従業員に「目標に対する責任感」を負わせることが難しくなり、業績も低迷するのではないかと思われる人もいるかもしれない。確かに規律がなく従業員同士がいわゆる「仲良しクラブ」や「ぬるま湯のチーム」のような状態を作ると、業績は低迷してしまう懸念がある。しかし、心理的安全性と同時に「目標に対する責任感」という要素を取り入れることで高パフォーマンスをあげることができる。多くのリーダーは、心理的安全性を醸成するためにまずチームの業績基準(目標)を下げる等してしまいがちだが、それは間違いである。心理的安全性は、高い目標を達成するために、失敗や疑問に対して罰せられたり、屈辱を受けたりしない風土ともいえる。これは集団の個人間風土のひとつの要素であり、「目標に対する責任感」は独立したもうひとつの要素で、両者を両立させることは可能であるとされている(Edmondson,2012)。

このように、心理的安全性を醸成するためには「リーダー(上司等)」の手腕に係るところが大きい。チームメンバーが率直な意見を発言したときのリーダーの対応によっては、心理的安全性を損ねかねないからだ。リーダーにはメンバーが悪いニュースを報告するのを促す仕組みを構築することや、パフォーマンスと目標に対する責任感に対して明確な期待を伝えることが必要となる。注意しなければならないのは、心理的安全性さえあれば(メンバーの不安さえ取り除けば)必ず高いパフォーマンスをあげられるわけではないということだ。心理的安全性が醸成された環境で、高い業績基準(目標)を設定することで初めて、メンバーが目標に対する責任感を持ち目標に向かって協働し合い、高いパフォーマンスをあげることができるのである。

4.まとめ

従業員にとって、表向きでは上司が仕事ぶりや業績等の評価者ではあるものの、実際には上司以外にも同僚や部下が常に自分に対して評価を下している。働いている限りは先に挙げた4つの不安(①無知②無能③邪魔④ネガティブの対人関係のリスク)が常に付きまとう。これはウェルビーイングの要素である「精神的、社会的に良い状態」にも関わってくるものである。

心理的安全性は、様々な研究において、企業文化等に左右されずに各チーム(部署等)それぞれが生み出せるものであるとされている。心理的安全性の醸成のためにはリーダー(上司等)の役割が重要であることは間違いないが、メンバー自身も自分のチームの心理的安全性の醸成のために貢献することも重要である。上層部やリーダー等の指示命令を「こなす」だけの存在に徹するのではなく、チームの意思決定に影響を及ぼし参画することで自然と個々人の「主体性」「目標に対する責任感」も醸成される。「自ら積極的に発言する」「様々な意見を歓迎する(よく聴く)」等、自部署(チーム)の環境作りに自ら貢献していくことでも組織の心理的安全性は醸成され、部署・組織として何かを成し遂げたときにそれを自分のことのように喜べるようになる。それは職場のウェルビーイング、ひいては自分自身のウェルビーイングの実現に寄与することになるだろう。

以 上

【注釈】
1)The knowledge, skills, competencies and attributes embodied in individuals that facilitate the creation of personal, social and economic well-being.を和訳:OECD(2001)“The Well-being of Nations THE ROLE OF HUMAN AND SOCIAL CAPITAL”

2)厚生労働省(2019)「雇用政策研究会報告書~人口減少・社会構造の変化の中で、ウェル・ビーイングの向上と生産性向上の好循環、多様な活躍に向けて」より。

3)A shared belief held by members of a team that the team is safe for interpersonal risk taking.を和訳:Edmondson (1999) Administrative Science Quarterly. 44(2)

4)例えば、自分が発言することで会議が長引く、あるいは脱線して「みんなにとって邪魔」と思われるのではないかという不安等のことを指す。

5)例えば、メンバーと違う意見を言うことで「否定的な発言ばかりする人」と思われないかという不安等のことを指す。

6)上司と部下が一対一で定期的に行う対話のこと。部下が気兼ねなく言いたいことを言える雰囲気(心理的安全性)の中で対話を積み重ねることにより、成長を支援することを目的とするもの。

7)夜間に行うタスク反芻性の調査項目は「自分の仕事のやり方を振り返っていた」「仕事のやり方について、もっとよい代替案はなかったか自問していた」等である。

【参考文献】

髙宮 咲妃


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。