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ネイチャーポジティブとは何か(2)

~企業に求められる生物多様性・環境保全~

牧之内 芽衣

要旨
  • 日本の大企業では、TCFD(気候変動対策の情報開示を求めるタスクフォース)への賛同企業数が欧米諸国を抑えて世界トップであるなど、気候変動への関心は高い。2023年9月にTNFD(生物多様性等の情報開示を求めるタスクフォース)提言の最終版の発表を控えていることもあり、今後ネイチャーポジティブに向けた動きが加速することが予想される。
  • 環境分野においてはEUがルールメイカーとなって議論を主導しており、積極的に議論に参画していかなければ日本に不利な評価枠組みとなる可能性も否定できない。また、生物多様性ホットスポットでもある日本での企業活動は「生物多様性リスクが高い」としてネガティブ評価されやすい状態にある。
  • 日本の企業や団体も国際的なルール作りの場に参画する必要があるが、自社の活動が生物多様性に及ぼす影響についてサプライチェーン全体まで把握できている企業は24%に留まるなど、日本企業へのネイチャーポジティブの浸透は途上の域を出ない。
  • 自然との接点の発見(Locate)、依存度と影響の診断(Evaluate)、リスクと機会の評価(Assess)、対応し報告するための準備(Prepare)という4ステップを繰り返す「LEAPアプローチ」や、自社およびサプライチェーン等での生物多様性リスクが評価できる「生物多様性リスクフィルター」など、企業と自然の関わりを評価する方法が整備されつつある。これらを利用し、企業それぞれが自社の生物多様性リスクを把握することが、企業価値の向上やESG投資の要請に応えるためへの一歩となるのではないか。
目次

1.はじめに

前編で示した通り、気候変動と生物多様性という2つの環境問題はどちらも地球のサステナビリティを左右する表裏一体の要素である。にもかかわらず、気候変動対策が脚光を浴びる一方で、生物多様性に関する議論は停滞してきた。「ネイチャーポジティブ」という概念の出現によって近年再び話題に上るようになり、企業にも対応が求められるようになった。本稿では、生物多様性にかかわる情報開示の要求が企業に及ぼす影響や、企業に今後求められる行動変容について整理する。

2.TCFDとTNFD ~気候変動に続き生物多様性でも求められる情報開示~

企業の温室効果ガス排出などがもたらす悪影響はかつて外部不経済と見られていたが、排出量などの情報の定量化、脱炭素に資する補助金や規制が進んだこと、投資家にESG投資を求めるPRI(責任投資原則、注1)が提唱されたことなどにより、2000年代後半から次第にビジネスリスクとして内部化されてきた。そこで、財務諸表だけでは見えない企業の気候変動リスクや対策を可視化するため、グローバルな情報開示枠組みを提供するタスクフォース「TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)(注2)」が2017年6月に設立された。これを受けて、経済産業省は2018年12月に、TCFD提言を読み解く「気候関連財務情報開示に関するガイダンス」を策定した。2019年5月には、それまでTCFDに賛同する企業数が3位だった日本がトップに躍り出た。現在でも日本は2位のイギリスや3位のアメリカを大きく引き離して世界トップを維持している(資料1)。

図表1
図表1

脱炭素の潮流に伴って、石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料資産は価値が大幅に減少する「座礁資産(注3)」とみなされたことも企業の脱炭素化取組みを後押しした。前編でも説明したとおり、今後は生物多様性についてもステークホルダーからの情報開示圧力がかかるなど、気候変動問題と似通った道のりを辿るであろうことは想像に難くない。

TCFD設立から4年後の2021年6月には、TCFDの生物多様性版ともいうべき「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)(注4)」が設立された。こちらは生物多様性・自然資本に関する情報開示枠組を提供するイニシアチブであり、企業がどのような生物多様性保全の取組みを行っているのか可視化する役割もある。2022年3月時点では情報開示枠組みの試用版が公表された。世界ではおよそ1000、日本からは80を超える企業や機関が参画しており、2023年9月には最終版の完成が見込まれている。このようなイニシアチブの設立自体がネイチャーポジティブを指向する国際的な潮流の証左であり、今後最終版の完成によって産業や企業への影響がより明らかになることで、ネイチャーポジティブに向けた動きが加速することが予想される。TCFD提言を読み解くガイダンスの策定が賛同企業数の増加に一役買ったように、TNFD提言についてもガイダンス策定などの後押しで日本企業の賛同数が増える可能性がある。

3.欧州中心のルールメイキングの課題

野心的な環境政策を次々と導入するなど、環境分野においてはEUがルールメイカーとなって議論を主導している。EUは2019年12月「欧州グリーンディール」を公表し、2050年カーボンニュートラル宣言で先陣を切った。その後、環境規制の強化でEU域内の企業の競争力低下を防ぐねらいから、環境規制が緩い国からの輸入品に事実上関税をかける「炭素国境調整メカニズム(国境炭素調整措置)」の導入に合意した。これには保護主義的な政策であるとしてインドや米国など9カ国が懸念を表明したほか、日本の産業界でも、EU向け輸出に影響が出かねないとして警戒が広がった。翻って生物多様性の分野では、企業の情報開示ルールがこれから策定される段階にある。TNFDは国際的な組織ではあるものの、参画団体が欧州などに偏れば、日本に不利な評価枠組みとなる可能性も否定できない。

日本は、日本にしか生息しない固有種の動植物の宝庫であり、「生物多様性ホットスポット(注5)」にも選定されている。そのため、日本での企業活動は「生物多様性リスクが高い」としてネガティブ評価されやすい。日本の実態に沿うような国際ルール策定が行われるためにも、日本の企業や団体が国際的なルール作りの議論に参加していく必要がある。

また、日本では戦後に住宅建築などのため木材需要が高まったことを受け、成長が早く、まっすぐに伸びて加工がしやすいスギが広葉樹林に代わって多く植林された。単一樹種で均一化された人工林は生物多様性が乏しくなるため、日本の生物多様性リスクが高いと見られる一因になっている。日本の企業や団体が国際的なルール作りの議論に参加することに加え、環境省が推進する「SATOYAMAイニシアティブ(注6)」のように、里地里山(注7)に代表される持続可能な自然利用を国内から広げていくことも重要だと考える。

以下の2つの画像は、WWF(世界自然保護基金)が企業や金融機関を主な対象として公開している「生物多様性リスクフィルター(BRF:Biodiversity Risk Filter)」からの抜粋である。NASA(アメリカ航空宇宙局)や世界銀行など、世界のさまざまな機関から提供されるデータを元に作成されている。空気の質や水不足など様々な指標で世界地図を色分けすることが可能だが、以下の図では野生の動植物の可用性(狩猟や漁獲、収穫などの持続可能性)を示している。赤く表示されている地域は持続可能性が低いことを示す。ヨーロッパでは赤く表示されている地域が沿岸部の一部などに限られるのに対し、日本は北海道の一部を除くほぼ全土が赤となっている(資料2)。

図表2
図表2

図表3
図表3

4.日本企業の課題

日本企業におけるネイチャーポジティブの取組状況を見ると、対応に苦慮する企業の様子が浮かび上がってくる。一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)と経団連自然保護協議会による2019年の調査によれば、経営方針等に生物多様性保全の概念を盛り込んでいる会員企業の割合は2009年度の39%から10年で75%と約2倍に増加している。しかし、自社の活動が生物多様性に及ぼす影響について企業が把握できている範囲は「本社の事業活動」が57%、「グループ企業」が43%であり、「サプライチェーン(供給網)全体」まで把握できている企業は24%に留まる。また、生物多様性の主流化を進めるうえでの阻害要因としては、「目標・指標の設定、定量化・経済的評価が困難」、「配慮や活動が事業の利益に結びつきにくい」といったものが挙げられた(資料3)。生物多様性への関心が高まる一方で、リスクの把握が阻害要因となっていることが伺える。

図表4
図表4

大多数が中小企業で構成される日本商工会議所は各地商工会議所に「商工会議所環境アクションプラン(注8)」の策定を促しているが、プランが公開されている17商工会議所のうち、生物多様性について触れられているのは2023年3月時点で名古屋商工会議所のみである。

このように、日本企業のネイチャーポジティブの取組みは一部に留まっている。2022年3月に開催された環境省の第1回ネイチャーポジティブ経済研究会でも、ヒアリング結果を踏まえた事業者の課題として自社のサプライチェーンにおける生物多様性への影響の把握が挙げられた。リスクの把握と目標や指標の設定が日本の足かせとなっている。

5.企業が生物多様性リスクを把握するには

日本企業が自社の活動と生物多様性の接点を発見するために役立つアプローチとして、TNFDが推奨する「LEAPアプローチ」を紹介したい。「LEAP」とは、自然との接点の発見(Locate)、依存度と影響の診断(Evaluate)、リスクと機会の評価(Assess)、対応し報告するための準備(Prepare)という4つのフェーズの頭文字を取ったものだ(資料4)。

図表5
図表5

まず、「L:自然との接点の発見」のフェーズでは、企業は対象とする事業を絞り込み、資源や工程を洗い出したうえで、対象工程の自社や取引先の拠点をリストアップする。その中で、生物多様性の危険程度が高い地域をリストアップする。

「E:依存度と影響の診断」のフェーズでは、自社が当該地域の生態系サービス(注9)へどれだけ依存しているか、あるいは影響を及ぼしているか分析し、優先度の高い影響・依存対象を特定する。

そして、「A:リスクと機会の評価」のフェーズでは、影響・依存に伴う事業リスクを棚卸し、追加施策を検討する。改善に向けた新たな事業機会が見込まれる場合は、それについても分析する。

最後に、「P:対応し報告するための準備」のフェーズでは、リスク軽減に向けてより良い資源の利用方法について検討し、継続的なモニタリングなどの管理指標を検討する。TNFDの開示項目に従って情報を開示した後は、投資家からのフィードバックを受けて取組みを改善する。

自然関連リスクが把握できれば終わりとするのではなく、リスクを事業機会に転換するという出口戦略も含めたアプローチとなっており、企業価値の向上につなげるという企業側のモチベーションが意識されている。

また、リスク把握のため、3章で紹介した「生物多様性リスクフィルター」をはじめとし、以下のようなツールが整備されつつある(資料5)。ここに挙げた例の他、民間企業が作成したデータベースもあり、機能や目的が一部重複するものもある。

図表6
図表6

2022年12月にカナダのモントリオールで開かれた国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)では、「企業や金融機関が生物多様性へのリスク・依存・影響を評価し、開示することを求める(目標15)」とする行動目標も採択された。日本では、2022年1月7日に金融庁が「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案を公表し、有価証券報告書に「サステナビリティに関する企業の取組みの開示」の記載欄が新設されることとなった。また、気候変動リスクなどサステナビリティ関連情報の国内開示基準を策定するサステナビリティ基準委員会(SSBJ)は、2025年3月末までに日本版の開示基準を作成するとしている。今後生物多様性の重要性がさらに増し、開示項目として指定される可能性もある。

6.おわりに

従来、自然資本はビジネスの領域とは切り離されて考えられてきた。しかし、欧州を中心として変化が巻き起こり、事業判断に組み込む要素や積極的な投資対象として捉えられるようになってきた。TNFDが2023年9月に最終提言の公表を控えるなど、環境に関する情報開示ルールや評価ツールの策定が急ピッチで進む中、企業に求められる情報開示基準はより一層厳しくなることが予想される。環境分野での議論はEUを中心に進んでいることもあり、日本での企業活動が正当に評価されるよう、日本の企業や団体もルール作りの議論に参加していく必要があると考える。TNFDの最終版公表前である現在は対応の準備期間であり、生物多様性に関する情報開示や影響把握の取組みそのものが評価される段階にある。自然との関わりを評価するツールなどを活用しつつ、それぞれの企業が自社の生物多様性リスクを把握することが、企業価値の向上やESG投資の要請に応えるための一歩となるのではないか。

以 上

〇関連レポート
「ネイチャーポジティブとは何か(1)~再び集まる生物多様性への注目~」

【注釈】

  1. PRI(責任投資原則)とは、2006年に国連より提唱された原則で、投資家に対して投資活動の際にESGの要素を考慮することを求める。PRIに署名する企業などの機関は2023年3月25日時点で5435にのぼる。日本からの賛同機関数は121であり、2020年までの98機関と比べて2年ほどで約1.5倍に増加している。
  2. TCFDとは「気候関連財務情報開示タスクフォース」の略称で、2017年6月に設立された民間のイニシアチブのこと。企業がどのような気候変動対策を行なっているのか投資家から確認できるように、企業に対して積極的な開示を求めるとともに、どういった項目を開示すればよいかの枠組を提供している。
  3. 座礁資産とは、法規制や市場、社会環境の変化により、経済価値を失った資産のこと。CO2の排出が望ましくないという価値観が広まるにつれて、規制の強化や需要の減少が起こり、石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料資産の資産価値が大きく減少するようなことをいう。
  4. TNFDとは「自然関連財務情報開示タスクフォース」の略称で、2021年6月に設立された民間のイニシアチブのこと。生物多様性・自然資本に関する情報開示を企業に求めるとともに、開示すべき項目の枠組を提供している。2022年3月15日から3回にわたりベータ版フレームワークを公表し、2023年9月に確定版である最終提言の公表を控えている。
  5. 生物多様性ホットスポットとは、多様な生物が生息しているにも関わらず、生態系が危機に瀕している地域として専門家や環境NGOが指定した地域を指す。1988年に保全生物学者ノーマン・マイヤーズによって提唱され、現在36地域が指定されている。
  6. 里地里山のような、人間活動の影響を受けて形成・維持されている自然環境を維持し、自然共生社会を世界で実現することを目的とするイニシアチブのこと。東洋的自然観による自然共生社会の概念には、西欧諸国からの批判もあったが、アフリカなど多くの開発途上国が積極的に支持したことにより、2010年に愛知県で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)でSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)が創設された。
  7. 里地里山とは、原生的な自然と都市との中間に位置し、集落や農地、ため池、草原などで構成される地域をいう。生物の生息地のほか、食料や木材など自然資源の供給、良好な景観、文化の伝承の観点からも重要な地域である。
  8. 商工会議所環境アクションプランとは、経営改善や生産性向上への取組みに省エネ視点を加味し、経営課題解決と省エネの同時達成を目指すスキームをいう。日本商工会議所は2017年12月にアクションプランを策定しており、自らアクションを行いつつ、各地商工会議所へのアクションプラン策定を促すとしている。2021年4月からは商工会議所環境アクションプランの策定を支援するプロジェクト「商工会議所環境AP100チャレンジ」もスタートした。
  9. 生態系サービスとは、食料や水の供給、水質の浄化や廃棄物の分解、花粉の媒介など、生物多様性を基盤とする生態系から得られる恵みを指す。

【参考文献】

牧之内 芽衣


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