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安全保障とESG

~安全保障はSocialマターなのか~

石附 賢実

要旨
  • ロシアによるウクライナ侵略は暴力に基づく現状変更の試みであり、ウクライナの主権を踏みにじる明確な国際法違反である。これを許してしまうと他地域における暴力の連鎖に繋がりかねず、法の支配に基づく国際秩序が揺らいでしまう。
  • 国際社会に目を向けると「世界警察」のような国際法の絶対的な執行機関は存在しない。国連の安全保障理事会は、拒否権を持つ常任理事国が紛争当事者の場合は全くもって無力である。各国が必要に応じて関係国とも連携し、抑止力を持つ必要がある。
  • ウクライナ情勢を受け、安全保障及びその裏付けとなる軍事力、抑止力は市井の人々の生死に関わるSocialマター(社会的に重要な課題)であることが認識された。ウクライナへの武器供与は、濃淡はあるものの多くのEU市民から前向きに捉えられている。
  • 法の支配に基づく国際秩序の回復のためには、ロシアによる「暴力に基づく現状変更を成功させないこと」が必要である。日本においても、今般のウクライナのように軍事侵攻を受けた国に対する武器供与の取扱いについて、議論を避けては通れないであろう。
  • 安全保障がSocialマターであるとすれば、ESG投資のSの側面から防衛産業をどう捉えるのかという議論も想定される。スウェーデンのある資産運用会社は2022年3月にサステナビリティ方針を変更し、防衛産業への投資を可能とした。
  • 非人道的な武器はもちろんのこと、通常兵器も使われ方や使い手によってAnti-social(反社会的)な側面がある。ESG投資のSとしての評価を高めていくためには、国家や製造者に相応の透明性や説明責任が求められる。
  • 日本における防衛費のGDP比2%水準への引き上げ議論も、Socialマターとして前向きに捉えられるようになれば、国民の負担増といったネガティブな側面のみならず、乗数効果を通じた国内経済への寄与の視点も生じてくる。
  • ウクライナ情勢に鑑みれば、安全保障戦略、防衛産業の将来、武器供与の取扱いについて政府、経済界、個々人それぞれが自分事として捉えていく必要がある。
  • 武器や防衛産業をSocialマターとして取り扱う際に、「自由や民主主義を守るため」といった価値観を伴う社会正義を前面に出さない方がよい。日本政府が強調している「法の支配に基づく国際秩序の維持」という視点で、そのために必要な防衛力、防衛産業、武器供与を考えていくべきであろう。
  • 自由や民主主義といった価値観は押しつけでは浸透しない。こうした価値観を共有する国々が繁栄と協調、高潔性を示し続けていくことが重要である。
目次

1.法の支配と暴力の支配

ロシアによるウクライナ侵略は暴力に基づく現状変更の試みであり、ウクライナの主権を踏みにじる明確な国際法違反である。これを許してしまうと他地域における暴力の連鎖に繋がりかねず、法の支配に基づく国際秩序が揺らいでしまう。

そもそも法の支配とは何か。これは、権力に対して法の優越を確保する考え方である。権力を暴力と読み替えてもよいだろう。想像しやすい国家レベルで考えてみると、法の支配との親和性が高い民主主義的とされる国は、法に基づく選挙や様々な自由があり、権力や暴力が法を凌駕することは基本的にはない。権力者や立法府も、自由な意思表明が保証された選挙によって選択される。一方で暴力の支配は「権力のために法が存在」する。例えば、法によって政権の意に反する報道を取り締まる、反体制派は事実上立候補できない、といったことをイメージすれば分かりやすいであろう。

図表1
図表1

「法の支配」と「暴力の支配」の議論は古くから続いている。1932年に国際連盟が物理学者アインシュタインに依頼した公開書簡において、同氏は精神医学者フロイトに「人はなぜ戦争をするのか」を問うた。フロイトは返答のなかで、権力を「暴力」と言い換え、暴力で全てが決する動物の弱肉強食の世界から、人間社会の成熟した「法の支配」に至る過程を説明した。また、「法の支配」から「暴力の支配」へ歴史を押し戻そうとする動きを鮮やかに現わすとともに、逆説的ではあるものの、法の支配を支えていくためには抑止力などの「暴力」が不可欠であることを示した(注1)。

例えば国家であれば法の執行機関として警察などが存在する。これを国際社会に置き換えると、「法の支配に基づく国際秩序」とは慣習法や条約を含む国際法に基づく国際秩序であり、「世界警察」のような絶対的な執行機関はない。国際連合(国連)の安全保障理事会は、拒否権を持つ常任理事国が紛争当事者の場合は全くもって無力である。暴力に基づく現状変更を受け入れざるを得ない状況が現実となれば、まさに「暴力の支配」である。暴力の支配を信奉する国家が存在する限り、各国が必要に応じて関係国とも連携しながら、抑止力を持つ必要がある(注2)。

2.安全保障はSocialマターなのか

国家は、侵略を許し抵抗できなければゲームオーバーである。 冷戦終結以降、西側先進国では他国から侵略されるという危機感は希薄であった。今般のウクライナ情勢を受け、安全保障及びその裏付けとなる軍事力、抑止力は、市井の人々の生死に関わるSocialマター(社会的に重要な課題)であることが認識されたと言えよう。生きていくこと、生き残ることは人類のあらゆる営みの大前提である。

ウクライナへの武器供与は、濃淡はあるものの多くのEU市民から前向きに捉えられている。欧州議会の世論調査によれば、EU市民の73%がロシアへの制裁やウクライナへの軍事的・人道的支援を含むEUの行動に賛同している(資料2)。ドイツの民間調査会社Bertelsmann Stiftungの調査によれば、よりダイレクトな質問「EUがウクライナに武器を提供すること」に対してEU市民の60%が賛同している(注3)。

図表2
図表2

EU市民のウクライナ情勢への危機感は高い一方で、主体が「EU」と「自国」とでは微妙な温度差が感じられる。同じ調査会社で「『自国』がウクライナに武器を提供すること」という質問について、ポーランドは76%が賛成、他方でフランスは54%、イタリアは36%となっており、同じEU域内でもロシアと地理的に近い国ほど自国による武器供与への賛同が高い傾向にある(2022年9月現在、注4)。

他方で日本に目を向けると、日本経済新聞の世論調査(2023年2月24-26日)によれば、ウクライナ支援の強化には66%が賛同しているものの、武器については「提供する必要がない」が76%を占めるなど、武器供与への心理的ハードルの高さがうかがえる。

3.「法の支配に基づく国際秩序」と武器供与

冒頭述べた通り、ロシアによるウクライナ侵略は暴力に基づく現状変更の試みであり、ウクライナの主権を踏みにじる明確な国際法違反である。法の支配に基づく国際秩序の回復のためには、ロシアによる「暴力に基づく現状変更を成功させないこと」が必要であり、そのために欧米各国は直接の参戦は避けながらもウクライナに対して武器を提供し続けている。2023年3月21日の岸田首相によるウクライナ訪問において、殺傷能力のない装備品の供与が表明された。日本は防衛装備移転三原則などから殺傷能力のある武器の輸出は米国などとの国際共同開発・生産を除き難しいとされる(資料3)。

先ほどみた通り、武器供与に対する日本国民の心理的ハードルは相当に高い。一方で、法の支配に基づく国際秩序を推進するG7の一員として、今般のウクライナのように軍事侵攻を受けた国に対する武器供与の取扱いについて、議論を避けては通れないであろう。

図表3
図表3

4.ESG投資のSの側面?

安全保障がSocialマターであるとすれば、議論は国家政策レベルに留まらない。ESG投資のSの側面からどう捉えるのかという議論も想定される(注5)。EUにおけるSocial Taxonomyの議論の過程でも、武器製造が社会の持続性に有害な経済活動かどうかが論点になったとされる(注6)。命を守る抑止力や法の支配に基づく国際秩序の維持にかかる防衛産業を、投資対象としてどのように捉えるべきなのだろうか。

ウクライナ侵略が勃発する前から今に至るまで、殺傷能力を持つ武器の製造という防衛産業を忌避する投資家は少なくない。2018年時点の欧州の機関投資家による投資除外セクターを見ると、武器の種類に関わらず「全ての武器」を除外すると回答した割合が45.7%にものぼる(資料4)。一方でウクライナ侵略を受けてその風向きは少し変わりつつある。スウェーデンのある資産運用会社は2021年に自社のファンドにおいて防衛産業への投資を禁止したが、ウクライナ侵略勃発後の2022年3月にサステナビリティ方針を変更し、クラスター爆弾等の国際条約に違反する武器を生産する企業は除外するとしつつも防衛産業への投資を可能とした(注7)。

図表4
図表4

他方で武器は、他者に危害を加える性質を当然に持ち、クラスター爆弾のように非人道的とされるものはもちろんのこと、通常兵器も使われ方や使い手によって意図せずAnti-social(反社会的)な影響が生じることは否定できない。警察が持つ拳銃と、反社会的勢力が持つ拳銃では真逆の捉えられ方となる。抑止力や法に基づく国際秩序維持のために必要な武器について、ESG投資のSとしての評価を高めていくためには、武器のバリューチェーンの川下管理まで含めて、国家や製造者に相応の透明性や説明責任が求められる。

ウクライナ情勢以降、多くの日米防衛関連企業の株価は世界株式の代表的指標であるMSCI ACWIをアウトパフォームしている(注8)。戦争を契機にしたようにもみえる株価上昇を喜ぶわけにはいかないという受け止めと、Socialとして不可欠な産業という評価を得たという側面、いずれにも一理はあるだろう。

5.防衛費GDP比2%水準への引き上げも違う見え方に

日本における防衛費のGDP比2%水準への引き上げ議論も、Socialマターとして前向きに捉えられるようになれば、財源の限られたパイの奪い合いや国民の負担増といったネガティブな側面とは別の視点も生じてくる。一般的な公共投資は投資そのものの必要性とともに乗数効果も期待して実施される。つまり、公共投資そのものの投資金額に加えて、雇用などを通じて個人消費にも波及し、投資金額以上にGDPを増加させる。防衛産業に当てはめた場合、地政学的リスクの喫緊性に鑑みて急ぎ必要な武器は海外から輸入せざるを得ないものの、適切な利益水準に基づく国内の防衛産業の発展やすそ野の広がり、雇用の増加、友好国への輸出などが将来的に見通せれば、国富を流出させずに循環させることで、より効果的に国内経済に寄与できる可能性がある。仮にSocialとして前向きな認識が国内外に浸透することとなれば、資金を呼び込むことにも繋がり、効果は一層高まるであろう。

6.議論を避けない

最後に、2点強調したい。

まず、安全保障戦略、防衛産業の将来、武器供与の取扱いについて、議論を避けてはいけないということである。ウクライナ情勢を含む昨今の国際情勢は、防衛そのもの、そして防衛産業が社会的に重要であること、一律に投資対象のネガティブリストに載せることの是非、他方で武器そのものの殺傷能力という機微性、使い手や使い方によってSocialにもAnti-socialにもなりうるといった論点を改めて浮き彫りにした。ロシア占領下で行われている市井の人々への蛮行は決して許されるものではなく、ロシアの隣国である日本としても他人事で済ませられる問題ではない。政府、経済界、個々人それぞれが自分事として捉え、議論していく必要がある。

2点目として、武器や防衛産業をSocialマターとして取り扱う際に、「自由や民主主義を守るため」といった価値観を伴う社会正義を前面に出さない方がよいという点を挙げたい。筆者は自由や民主主義は何にも代えがたい大切なものと認識しているが、中露やグローバル・サウス(注9)を中心に自由や民主主義が浸透していない国も少なくなく、声高に叫んでもこれらの国々の権力者には響かない可能性が高い。最近日本政府が強調している「法の支配に基づく国際秩序の維持」という視点で、そのために必要な防衛力、防衛産業、武器供与を考えていくべきであろう。

第一章で見た通り、法の支配は自由や民主主義といった価値観と親和性が高く、自由や民主主義を声高に叫ばずに法の支配のみを強調するのはダブルスタンダードだと責められるかもしれない。実際、暴力の支配を信奉する国は、法やルールを自身の都合の良い方向にねじ曲げたり解釈の変更を試みたりする可能性があるだろう。しかしながら自由や民主主義といった価値観は押しつけでは浸透しない。こうした価値観を共有する国々が繁栄と協調、高潔性を示し続けていくことが重要である。

以 上

【注釈】

  1. 以下、A・アインシュタイン、S・フロイト(2016)関連個所より引用する。
  • 「人と人のあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。(中略)はじめは、力の強い者が支配権を握りました。むき出しの暴力、さもなければ才知に裏打ちされた暴力が支配者を決めたのです」(P24-26)
  • 「社会のなかには、法を揺るがす2つの要素があることになります。一つは支配者層のメンバーたちの動き。なおも残された制限を突き破り、『法による支配』から『暴力による支配』へ歴史を押し戻そうとします。もう一つは、抑圧された人間たちが絶えず繰り広げていく運動。(中略)『不平等な法』を『万人に平等な法』に変革しようとするのです」(P30)
  • 「法といっても、つきつめればむき出しの暴力にほかならず、『法による支配』を支えていこうとすれば、今日でも暴力が不可欠なのです」(P38)
  1. 例えば、ニーアル・ファーガソン(2022)では、インドの経済学者アマルティ・センが中国の大躍進やソ連の大飢饉を引き合いに民主主義は飢饉の最善の解決方法であるとしたことを紹介した上で、民主主義は「軍事的惨事に対しては何の保険にもならないことは明らかだ。『平和を欲するなら、戦争に備えよ』というのは、古来の戒めだ」(P263)としている。
  2. 独Bertelsmann Stiftungによる調査(2022年3月~6月)。
    https://eupinions.eu/de/home/
  3. 同調査(2022年9月)。
    https://www.bertelsmann-stiftung.de/en/topics/latest-news/2022/december/support-for-ukraine-is-declining-slightly
  4. 例えば、ESGの開示基準GRIスタンダードには、Socialの開示事項のなかに直接的に安全保障に関係する項目は存在しない。
  5. Taxonomy(タクソノミー)とは持続可能な経済活動を分類して、投資家の資金を重点政策分野に呼び込むEUの施策。環境分野が先行している。報道等によればその後のSocial Taxonomy検討のなかで、社会の持続性の観点から武器製造を有害な経済活動として明記すべきかどうか議論が展開されたとされ、2022年2月28日の最終報告書においては国際条約等で禁止されている特定の武器に限定された(同報告P70-71)。
    https://finance.ec.europa.eu/system/files/2022-08/220228-sustainable-finance-platform-finance-report-social-taxonomy_en.pdf
  6. SEBホームページより。
    https://sebgroup.com/about-us/our-business/our-divisions/seb-investment-management/our-sustainability-approach
  7. 2022年の年初を起点としてみると、代表的な日米防衛関連企業の多くは世界株式の代表指標であるMSCI ACWIをアウトパフォームしている。(2022年初=100とした指数)

図表5
図表5

  1. グローバル・サウスについては、拙稿「なぜいま『グローバル・サウス』が注目されるのか」を参照。

【参考文献等】

石附 賢実


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

石附 賢実

いしづき ますみ

取締役 総合調査部長
専⾨分野: 経済外交、安全保障

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