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なぜ「抑止力」が必要なのか

~防衛3文書閣議決定、企業のリスク管理視点で分かりやすく~

石附 賢実

要旨
  • 2022年12月16日、いわゆる「防衛3文書」が閣議決定された。最上位の「国家安全保障戦略」(2022)を見ると、①「主権と独立」、②「経済成長」、③「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」といった守りたい大切なものを「国益」として3点明確にし、論点や取り組むべきことを幅広く網羅しており、評価できる。
  • そもそも、国家の安全保障や抑止力といった話題は普段の生活からは縁遠いものであり、自分事として捉えづらい。国民一人ひとりの自分事化に少しでも資することを企図して、企業のリスク管理の考え方で抑止力を整理・考察する。リスク管理プロセスにおいては、外部環境・内部環境の変化を理解し、リスクと機会、影響度や許容度、発生頻度などを精査し、事業戦略を立てて遂行している。
  • 外部環境を見ると、第二次世界大戦後の日本は、安全保障の多くを米国が負担するなかで経済成長に集中する戦略(いわゆる吉田ドクトリン)をとることが可能であったが、昨今は中国の台頭を筆頭にかなり変化している。内部環境を見ると経済の停滞、財政逼迫、少子高齢化など課題が山積している。
  • 侵略されるリスクについては、発生頻度がかなり稀としても影響度は甚大であり、全く許容できない(許容度ゼロ)。国家の場合、侵略を許し抵抗できなければ完全なゲームオーバーであり、阻止するための抑止力が必要である。
  • 犯罪行為に関する三角形「fraud triangle」理論(①正当化、②動機、③機会)は企業のリスク管理の世界でよく知られる。国際社会全体をこの三角形に当てはめると、「最も抑えたい犯罪行為=法に基づく支配への挑戦」は、侵略であろう。軍事力のバランスが大きく崩れると、①を絡めながら②や③が出現しやすくなる。
  • 企業のリスク管理の一丁目一番地はintegrity、すなわち高潔性と言われるが、現在の国際秩序に当てはめるのは噴飯ものと言われても仕方がない。国連の常任理事国が率先して国際法を破り侵略し、核による威嚇を続けている。
  • 「法に基づく支配」を維持するためには暴力、すなわち抑止力が必要であるという冷徹な現実がある。暴力のバランスが取られることで外交や交渉が成立する、そうした機会が生まれることを認めざるを得ないであろう。
  • 時間がかかろうとも「法に基づく支配」を当然視する高潔性が支配する空気感に満ちた国際秩序を追い求めていかねばならない。現実的な抑止力を持ち「暴力に基づく支配」を信奉する国家の動機や機会を封殺しつつ、関係国との建設的な意見交換や国際社会における協調、同志国との連携、平和国家の希求など、日本外交として「高潔性」の範を示す行動を取り続ける、不断の努力が求められる。
目次

1.「防衛3文書」の閣議決定と世論

2022年12月16日、いわゆる「防衛3文書」が閣議決定された。防衛費の大幅な増額に加えて「反撃能力」の保有などが明記され、安全保障政策の転換期を迎えているといえよう。先般の参議院選挙でも争点となったほか、その後の国会でも与野党で論戦が交わされた。最上位の「国家安全保障戦略」(2022)を見ると、①「主権と独立」、すなわち国土を防衛することはもちろん、②「経済成長」、③「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」といった守りたい大切なものを「国益」として3点明確にし、これらを守るための論点や取り組むべきことを幅広く網羅しており、評価できる(注1)。筆者は拙稿(2022)のとおり国力・防衛力・外交力の後ろ盾となる経済成長の重要性を常に強調しているが、防衛費に関する「GDP比2%」水準の議論については抑止力強化とともに政治的意思を示す意味合いとして妥当なものと考えている。一方で、急遽浮上した与党による増税の検討とも相俟って、国民的合意の下で安全保障の議論が進んでいるとは言いづらい状況にある(注2)。

そもそも、国家の安全保障や抑止力といった話題は普段の生活からは縁遠いものであり、自分事として捉えづらい。他方で戦争となった場合には、ウクライナ情勢からも明らかな通り、まさに市井の人々が犠牲となる。誰しもが自分事化しなければならない政治的イシューである。そこで、事業会社のシンクタンクの視点で、国民一人ひとりの自分事化に少しでも資することを企図して、企業のリスク管理の考え方で国家安全保障や抑止力を整理・考察してみたい。抑止力とは、まさに侵略のリスクに対する抑止力であり、企業のリスク管理の考え方との親和性は高い。国家と企業は全く異なる性質を持つ主体と思われるかもしれないが、外部環境・内部環境の変化に対応し、手を打っていくという点においても共通点がある。

2.企業のリスク管理と国家安全保障

一般に企業のリスク管理はどのように行われているのか。教科書的には、外部環境・内部環境の変化を理解し、リスクと機会、影響度や許容度、発生頻度などを精査し、事業戦略を立てて遂行することとなる(資料1)。企業は内部環境についてはある程度コントロール可能だが、外部環境はよほどの市場支配力を有していない限り原則コントロールは難しい。例えば足元で叫ばれているDX(デジタル・トランスフォーメーション)やGX(グリーン・トランスフォーメーション)などの外部環境の変化に適応できなければ、その企業は淘汰されることとなる。

図表1
図表1

ここで、企業のリスク管理プロセスを念頭に置きつつ、国家安全保障を考察する。まず、外部環境である。第二次世界大戦後の日本は、安全保障の多くを米国が負担することで経済成長に集中する戦略(いわゆる吉田ドクトリン)をとることが可能であった。その後も1991年にソビエト連邦が崩壊し、日本は世界第2位の経済大国でありながらも、米国一強の安定した国際秩序の下で防衛費をGDP比1%程度に抑えることが可能であった。しかし昨今の外部環境は当時からかなり変化している。新興国、しかも自由や民主主義といった普遍的な価値観を共有しない国家が台頭し、特に隣国の中国が世界第2位の経済・軍事大国へと急成長し、「21世紀の中葉までに中国を世界一流の軍隊に」(令和4年版防衛白書P32)、つまり米国と伍する軍事力を目指している状況にある。既に同国の軍事費(2021年)は日本の5倍余りとなっている(資料2)。中国は装備面でも日本や米国を射程に収める弾道ミサイルが多数配備され、迎撃が難しい極超音速滑空兵器の試験も推し進められているとされる(令和4年版防衛白書P36-38)。宇宙やサイバーといった新しいドメインへの対応も急務であり、当然に今回の国家安全保障戦略にも反映されている。

図表2
図表2

同様に、内部環境の変化も見てみよう。残念ながら日本は現状、経済は停滞、財政状況も先進国最悪とされるなかで少子高齢化も進展するなど課題が山積している。拙稿(2022)のとおり、「GDP比2%」を政治的決断できたとしても、2%は比率にすぎず、比率の大元の経済が成長しなければ、防衛力はいずれ相対劣後していく。経済や科学技術、教育、少子化対策といった国力に関わる課題は、日本国が自らの意志で取り組める「内部環境」の課題のはずである。今回の国家安全保障戦略では、「我が国は、人口減少、少子高齢化、厳しい財政状況等の困難な課題に直面している。こうした我が国国内の困難な経済的・社会的課題を解決し、経済成長を実現していくためにも、産業に不可欠な物資、エネルギー、食料等の貿易や人の移動等の国境をまたぐ経済・社会活動が円滑になされる国際的な環境を確保しなければならない」と明記され、こうした経済や内部環境の変化も国家安全保障の対象としていることは評価できる。企業は自身が変わっていかなければ外部環境に適応できない。国家も全く同様である。

これら外部環境、内部環境の変化に照らしたリスク対策と機会の追求、国家に照らせば政策を推し進める必要がある。その際、企業と同様に「リスク許容度」「影響度」「発生頻度」などを念頭に置くと、侵略されるリスクについては、発生頻度がかなり稀としても影響度は甚大であり、全く許容できない(許容度ゼロ=zero-tolerance)。企業の場合は経済全体としてみれば前向きな新陳代謝もあり、労働者が産業間や企業間でスムーズに移動できれば廃業がむしろプラスに働くこともありえよう。国家の場合はこれとは全く異なり、侵略を許し抵抗できなければ完全なゲームオーバーであり、何としても阻止しなければならず、そのためには抑止力が必要、ということになる。

3.国家の犯罪行為「侵略」をfraud triangleに当てはめると

企業のリスク管理の世界では、犯罪行為に関する三角形「fraud triangle」理論(①rationalization(正当化)、②motivation(動機)、③opportunity(機会))がよく知られている(資料3)。②はPressure(プレッシャー)とされることもある。具体例を挙げると、①談合や違法スレスレの行為に関与するのは他社もやっており競争上致し方ないと考える、②業績達成のプレッシャーからつい財務諸表を改ざんしてしまう、またそれができるポジションにいる、③金庫を一人で管理していて誰にも邪魔されずに容易に横領の機会が得られる、などとなる。企業ではこうしたリスクイベントの発生を抑えるべく、影響度や発生頻度、許容度などに応じた対策を打つこととなる。

図表3
図表3

国際社会全体をこの三角形に当てはめると、「最も抑えたい犯罪行為=法に基づく支配への挑戦」は、侵略であろう。軍事力のバランスが大きく崩れると、①を絡めながら②や③が出現しやすくなる。圧倒的な戦力差があればそこに③「機会」が生じるし、支配欲や国内のステークホルダーからのプレッシャーなど②「動機」も生じやすいであろう。日米同盟強化や反撃能力、継戦能力の確保は仮想侵略国を念頭に置いた②③への対応、まさに「抑止力」といえよう。また①「正当化」について、ロシアによるウクライナの侵略においては、「アメリカが原爆投下の前例を作った」、「ネオナチから解放する」、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」、「住民投票」など、詭弁や虚実、偏った歴史観まで、ロシアにより様々展開されている。こうした犯罪の正当化を許してはならないし、②や③を与えないことにより、①正当化を無意味にすること、やはり「抑止力」が大事になってくる。

4.企業のリスク管理では「高潔性」が重要視されているが・・・

企業のリスク管理の一丁目一番地はintegrity、すなわち高潔性と言われる。いくらコンプライアンス(法令等遵守)を声高に叫んでも法令や規則を破ってしまえばそれまでである。高潔性を重視する社内の雰囲気やリーダー自らの言葉・行動が、犯罪行為を含むリスクを低減させる。

説明するまでもなく、この話を現在の国際秩序に当てはめるのは噴飯ものと言われても仕方がない。国連の常任理事国が率先して国際法を破り主権国家を侵略するとともに、核による威嚇を続けている。「暴力に基づく支配」を信奉する国家やリーダーが力による現状変更を試みている現状に鑑みれば、「法に基づく支配」を維持するためには暴力、すなわち抑止力が必要であるという冷徹な現実がある(注3)。暴力のバランスが取られることで外交や交渉が成立する、そうした機会が生まれることを認めざるを得ないであろう。

前章で示したようなロシアの「正当化」を決して許してはならないし、「暴力に基づく支配」は何としても避けねばならない。そのためには時間がかかろうとも「法に基づく支配」を当然視する高潔性が支配する空気感に満ちた国際秩序を追い求めていかねばならない。現実的な抑止力を持ち「暴力に基づく支配」を信奉する国家の動機や機会を封殺しつつ、関係国との建設的な意見交換や国際社会における協調、同志国との連携、平和国家の希求など、日本外交として「高潔性」の範を示す行動を取り続ける、不断の努力が求められる。

【注釈】

  1. 安全保障は英語のsecurityを翻訳したものであるが、このsecurityという言葉には「大切なもの」を何等かの「手段」で「守る」というニュアンスが含まれており、単なる守り(defense)よりも深い、包括的な概念である。
  2. NHKの2022年12月の世論調査では「反撃能力の保有」(賛成55%、反対31%)、「防衛力整備水準5年間で43兆円」(賛成51%、反対36%)といずれも過半が賛成も、一定程度の反対が見受けられる。
  3. 「法に基づく支配」と「暴力に基づく支配」の現状については拙稿「揺れる『法に基づく支配』と忍び寄る『暴力に基づく支配』の足音」参照。
    https://www.dlri.co.jp/report/ld/194889.html

【参考文献等】

  • 内閣官房(2022)「国家安全保障戦略」
  • 防衛省(2022)「令和4年版防衛白書」
  • The Institute of Internal Auditors (2018) “The IIA’s CIA (1) Essentials of Internal Auditing”
  • 石附賢実(2022)「なぜ『防衛費・GDP比2%』が争点となるのか」
    https://www.dlri.co.jp/report/ld/201961.html

石附 賢実


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石附 賢実

いしづき ますみ

取締役 総合調査部長
専⾨分野: 経済外交、安全保障

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