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「公正な移行」を支える環境人材育成とは

~COP27が目指した「分断なき脱炭素」~

牧之内 芽衣

要旨
  • 2022年11月にエジプトで開催されたCOP27では、途上国が気候変動による自然災害で受けた被害に対し、先進国が損失と被害に対する基金を設立することで合意した。しかし、補償では温暖化は止められないため、気候変動を抑制したり、被害を縮小したりといった技術が重要となってくるであろう。
  • 世界では、脱炭素社会への移行に伴って負担を受ける産業や地域への負の影響を回避しながら、質の高い雇用を生み、社会を繁栄させる「公正な移行(Just Transition)」という考え方が注目されている。
  • EUでは「公正な移行メカニズム」による基金を創設し、化石燃料のバリューチェーンに依存する労働者とコミュニティを支援する取組みがある。また、「欧州グリーンディール」に基づいて、研究者や大学の環境分野の研究に資金面での支援を行う「ホライズン・ヨーロッパ」のような仕組みがある。
  • イギリスでは国策として「エネルギー・スキルズ・パスポート」というリスキリングが進行中だ。同国のハンバー地域では、人材育成・研究開発等に力点を置いた施策展開により地域クラスターを形成している。カナダのアルバータ州では石炭火力発電からのフェーズアウトを宣言し、「石炭労働者移行プログラム(CWTP)」が設立された。
  • 日本では1960 年代から2000 年代にかけて、紆余曲折を経てではあるが、炭鉱業における大規模なスクラップ・アンド・ビルドが行われたことが、今後の「公正な移行」の参考になる可能性がある。
  • これから脱炭素が進むにつれて、日本でも化石燃料のバリューチェーンに依存する労働者とコミュニティの問題が浮かび上がってくる可能性がある。社会構造への打撃から脱炭素への反発を生まないためにも、政府が国民、地方自治体、企業、大学など、様々なステークホルダーと手を取り合って公正な移行支援や環境人材育成を進めることが望まれる。
目次

1.COP27で浮き彫りとなった問題点

2020年に政府が発表した2050年カーボンニュートラル宣言を経て、日本では脱炭素という言葉が社会に深く根を下ろした。火力発電中心の現状から再生可能エネルギーの主力電源化を目指すといったエネルギー転換のみならず、多くの企業や地域にとってもさまざまな転換が迫られることとなった。

2022年11月6日から11月18日にかけて、エジプトのシャルム・エル・シェイクでCOP27(注1)が開催された。途上国が自らを地球温暖化による自然災害の「被害者」であるとして先進国にロス&ダメージ(気候変動の悪影響に伴う損失および損害)の補償を求めるなど、気候変動対策の「南北問題」が論点となった。前回2021年に英国のグラスゴーで開催されたCOP26では、世界の平均気温の上昇幅を産業革命以前から2℃以内に保ち、可能な限り1.5℃以内に抑える努力をする「1.5℃努力目標」の実施に向けた具体的なルールについて各国政府関係者が交渉を行った。今回のCOP27では多くの時間がロス&ダメージの議論に費やされ、温室効果ガスの排出削減にかかる具体的な取組みに関しては目立った進展がなかったとも指摘される。損失と被害に対する基金設立について合意したとはいえ、いくら先進国が補償をしても対策を放置すれば、気温上昇が続いて災害が増える負のスパイラルに陥りかねない。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は閉会のスピーチで「損失と損害のための基金は不可欠だが、気候危機により地図上から小島嶼国が消え去り、アフリカの一国の全土が砂漠になるなら、それは解決策にならない」と語った。温暖化を抑制したり、自然災害による被害を縮小したりといった技術が重要なことに変わりはない。

COP27では脱炭素に向けた目標のレベルを上げたい欧米と、それを警戒する産油国や中国・インドとの対立も目立った。パリ協定(注2)では産油国に対しても再生可能エネルギーへのシフトが求められているものの、産油国にとって石油産業の雇用を吸収できるほどの労働力を再エネ関連で創出するのは至難の業である。急激なエネルギー転換や産業構造の変化が社会的弱者や低所得層に不利益をもたらすなど、社会の「ひずみ」を生むという懸念もある。分断や対立を生まずに脱炭素を進めるためには、次に説明する、社会構造に打撃を与えない「公正な移行」と、それを技術面で支える環境人材育成が求められる。

2.公正な移行(Just Transition)

脱炭素化・エネルギー転換にあたっては、CO2多排出産業からそうではない産業への移行が不可避であることは論をまたない。多排出産業で働く人々の新たな職の受け皿の確保や新事業が求める人材の十分な供給が、エネルギー転換を円滑に進められるかどうかを大きく左右することになる。公正な移行は産業界のみならず、多排出産業が集中する地域や、経済活性化を求める地域にとっても重要な課題となる。

公正な移行(Just Transition)」は、石炭から石油へのエネルギー移行時に発生した鉱山労働者の大量失業がもたらした社会的ダメージへの反省を踏まえ、2009年のCOP15で国際労働組合総連合(ITUC)が提唱した考え方だ。脱炭素社会への移行に伴って、相対的に負担を受けるCO2多排出産業やその労働者、CO2多排出産業が集中する地域への負の影響を回避しつつ、質の高い雇用を生むことで持続可能な経済を築き、社会を繁栄させることを目的としている(資料1)。

図表1
図表1

2022年4月に公表されたIPCC(注3)第6次評価報告書第3作業部会の報告書では、世界の気温上昇を産業革命前から1.5℃以内に抑えるための化石燃料使用の大幅な削減とともに公正な移行の必要性が述べられている。2015年のCOP21で採択されたパリ協定の前文でも各国が取り組むべき優先事項として触れられているほか、日本でも2021年10月22日に閣議決定された「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」で、「脱炭素社会へ向かう際の労働移行を円滑かつ遅滞なく進めるため、国、地方公共団体及び企業や金融機関が一体となって、各地域における労働者の職業訓練、企業の業態転換や多角化の支援、新規企業の誘致、労働者の再就職支援等を推進していく。あわせて、地域社会・地域経済についても、円滑に移行できるよう取り組んでいく」と記載されている。

3.EUの公正な移行に関する取組み事例

世界では公正な移行について、気候変動に関する国連枠組条約、国際労働機関、ITUC、世界自然保護基金をはじめとする多くの機関が公正な移行に関するガイドラインを定めるなど、日本よりも強い問題意識を持って捉えられている。

EUはそもそも環境分野での人材育成支援が手厚い。国家レベルではなくEUレベルで人材を育成することで効率化も図られている。1984年にEUの科学技術基盤強化を目的として始動したフレームワーク・プログラムが、2021年からは「ホライズン・ヨーロッパ」と名前を変えて進行中である。いずれも多年次予算の仕組みをとり、研究者や大学が資金に困らないための配慮がされている。「ホライズン・ヨーロッパ」は2021年~2027年の7年を期間とし、およそ1000億ユーロの資金がEUから研究機関等に提供される。EUの行財政運営を担う欧州委員会が2019年から5年間の優先課題として示しているうちのひとつが、2050年までの温室効果ガス排出の実質ゼロなどを目標とする「欧州グリーンディール」という成長戦略だ。「ホライズン・ヨーロッパ」もこれに倣い、研究プロジェクトを募る5つの分野を「①気候変動適応、②癌、③海洋と河川の復元、④気候ニュートラルなスマート・シティ構想、⑤土壌」としており、癌以外は環境分野に分類されるものとなっている。

このように分厚い環境人材育成の土台をベースに持ちつつ、CO2多排出産業で働く労働者や、CO2多排出産業への依存度が高い地域も包摂した脱炭素への道筋を描いている点がEUの特徴といえる。EUは脱炭素に向けた取組みで世界をリードする一方、東欧諸国を中心に化石燃料やCO2多排出産業への依存度が高い加盟国も域内に存在する。そのため、労働者のためのスキル習得支援、スタートアップを含む中小企業向け支援、研究やイノベーション、再生可能エネルギーや輸送網の脱炭素化に関連した投資などに資金を供給することで脱炭素化の加速を図っている。先述したEUの成長戦略「欧州グリーンディール」の一部には、基金を創設し、化石燃料のバリューチェーンに依存する労働者とコミュニティを支援する「公正な移行メカニズム」が含まれる。

4.イギリス・カナダの公正な移行に関する取組み事例

イギリスでは、国策としてリスキリングを推進する取組み「エネルギー・スキルズ・パスポート」が行われている。教育課程と技能認定制度を策定し、石油・ガス業界から洋上風力を含むクリーンエネルギー業界への労働移動を促進するねらいがある。2023年までに英国外でも認められる仕組みが導入される予定で、講座受講等で新しく取得したグリーン・スキル(注4)を追記でき、業界や国境を越えた転職に役立てられるという。

イギリスのイングランド北東部にあるハンバー地域では、人材育成・研究開発等に力点を置いた施策展開により地域クラスターを形成している。もともと石炭、鉄鋼業で繁栄した地で、戦後にはエネルギー多消費の素材型産業やガス・石炭火力発電所が立地していたため、脱炭素に向けて転換が迫られていた。また、漁業もかつては盛んであったが衰退している。イギリス政府はこの地が洋上風力発電に適したロケーションにあることを活かし、経済特区として洋上風力発電関連企業を官民一体となって誘致した。政府との都市協定・成長協定に基づいた資金援助を受け、洋上風力発電を含む再生可能エネルギー分野の教育・訓練事業を実施したほか、民間主導のパートナーシップ「CATCH」も1200万ポンドを投資するなど、教育・訓練プログラムが充実している。2016年には産官学のコンソーシアム「Aura」プロジェクトが立ち上がり、低炭素エネルギー分野における企業へのビジネス支援、将来に向けての人材育成、研究開発とイノベーションに注力している(資料2)。

図表2
図表2

他の例として、カナダのアルバータ州がある(注5)。同州では、2014年時点で域内の電力の55%が石炭火力発電由来だった。そこで翌年、2030年までに石炭火力からフェーズアウト(注6)する目標を設定した。州政府への提言を行う諮問委員会が設置され、そこでの協議の結果、フェーズアウトにより職を失う労働者を支援するための「石炭労働者移行プログラム(CWTP)」が設立された。CWTPではキャリアカウンセリング、資格取得支援などが行われている。また、カナダでは炭素税が存在し、消費者は州ごとに課税されるが、これを財源とした「石炭コミュニティ移行基金」も設立された。

5.炭鉱業におけるスクラップ・アンド・ビルドの経緯に見る日本の可能性

以上見てきたように、海外では社会構造に打撃を与えない「公正な移行」と、それを技術面で支える、社会人を対象とした環境人材育成の取組みが進んでいる。

環境問題は未来を生きる世代と結び付きが強いことや、教育も学生を対象として語られることが多いことから、環境人材育成という語句も一見すると高校生や大学生を対象とした教育プログラムを連想させる。しかし、環境分野における教育では、CO2多排出産業などで働く現役の社会人を対象としたリスキリングや学び直し(リカレント)が脱炭素に向けた鍵となる。近年は日本でも、社会人を学びの対象とするリスキリングに関する議論が高まっているが、デジタル分野の印象が未だ根強い。

日本では1960年代から2000年頃にかけて、炭鉱業における大規模なスクラップ・アンド・ビルドが行われた。1950年代に中東やアフリカで相次いで油田が発見され、石油が大量かつ低価格で供給されるようになり、石炭から石油へと需要が急速に移行したためだ。900を超える炭鉱が閉鎖され、離職した従業員は20万人以上にのぼった。政府は職業訓練や他業種での雇用創出による離職者の吸収のほか、離職者への直接給付を実施するため、4兆円規模の財政資金を支出した。政府と地方自治体、石炭会社と労働組合が連携し、炭鉱閉鎖の予定が明らかになった段階から早急な取組みを始めた。例えば、1971年4月29日の閉山に伴って5000人近い離職者が生じた常磐炭礦(福島県南部から茨城県北部)では、労使で就職対策本部を設置して求人情報収集を開始し、閉山前の2月16日には「第一次就職相談票」を離職予定者全員に配布している。

また、相談員を中心に産業転換する離職者への個別相談・斡旋というパーソナルな支援が展開された点も興味深い。もっとも、この労働移動には様々な困難があった。支援が再就職時もしくはその1年後までに留まったことや、組夫と呼ばれる下請の人々には支援が行き届かなかったこと、受け入れ側の対策や支援の枠組みは不十分であったことなど諸々の問題はそのまま継承すべきものではない。しかし、問題点は教訓とし、これからの公正な移行の参考にできる可能性がある。

6.分断なき脱炭素に向けて

COP27で浮き彫りになった、気候変動に伴う世界の分断と対立の問題意識から、社会構造に打撃を与えない「公正な移行」や、それを技術面で支える各国の環境人材育成を見てきた。これから脱炭素が進むにつれて、日本でも化石燃料のバリューチェーンに依存する労働者や地域の問題が浮かび上がってくる可能性がある。

2022年11月29日に行われた第4回GX実行会議(注7)では、COP27での公正な移行の議論を踏まえ、多排出産業従事者などの関係当事者が加わる社会対話や、学び直しに対する生活保障をはじめとする重層的なセーフティネットの構築についてロードマップへの反映を求めるとした意見書が日本労働組合連合会より提出された。また、日本経済団体連合会が2022年5月17日に発表した提言「グリーントランスフォーメーション(GX)に向けて」でも、円滑な労働移動に向けたリカレント教育やリスキリングの充実・強化の必要性について触れられている。

事例を見てきたとおり、海外では社会人、特にCO2多排出産業などで働く人々を対象とした環境人材育成の取組みが進められている。日本でも、政府が2021年6月18日に閣議決定した「成長戦略実行計画」で「2050年カーボンニュートラルに伴う産業構造転換を支援する」「リカレント教育の推進など、産業構造転換に伴う失業なき労働移動を支援する」と記載されており、公正な移行支援についての萌芽はある。今後は政府自らが旗振り役として取組みを推進するだけではなく、国民、地方自治体、企業、大学など、様々なステークホルダーと手を取り合って公正な移行支援や環境人材育成を進めることが求められる。

以 上

【注釈】

  1. 「COP」とは「締約国会議(Conference of the Parties)」の略で、国際条約の加盟国が物事を決定するための決定機関である。気候変動枠組条約の締約国会議(COP-FCCC)や生物多様性の締約国会議(COP-CBD)などがある。中でも気候変動枠組条約の締約国会議を指してCOPと呼ぶことが多い。
  2. 「パリ協定」とは、2015年にパリで開かれた気候変動枠組条約の締約国会議で合意された温暖化対策の新しい枠組みで、「1.5℃努力目標」もパリ協定の目標のひとつである。
  3. 「IPCC」とは「気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change)」の略。気候変動に関わる各国の政策に科学的な根拠を与えることを目的とし、世界気象機関(WMO)および国連環境計画(UNEP)により1988年に設立された。
  4. UNIDO(国際連合工業開発機関)は、グリーン・スキルを「持続可能で資源効率の高い社会で暮らし、社会を発展させ、支えていくために必要な知識、能力、価値観、姿勢のこと」と定義している。
  5. 環境省 中央環境審議会地球環境部会・総合政策部会炭素中立型経済社会変革小委員会(第7回)資料3「欧米の地域経済移行と公正な移行の動向」参照
  6. フェーズアウト(phase out)とは、段階的に廃止すること、徐々に廃止していくことを意味する。徐々に消えて最終的に無くなることを意味する「フェードアウト」とは異なる。
  7. 温室効果ガスを排出しない経済社会システムに向けた変革を意味するグリーントランスフォーメーション(GX)を実行するべく必要な施策を検討するために行われる会議で、2022年7月に首相官邸に設置された。公正な移行についてはCOP27後の第4回GX実行会議(2022年11月29日開催)で取り上げられた。

【参考文献】

  • ILO(2016)”Guidelines for a just transition towards environmentally sustainable economies and societies for all”
  • Just Transition Centre(2017)”Just Transition A Report for the OECD”
  • 英国産業戦略省(2019)洋上風力発電産業政策
  • 日本経済団体連合会(2022年5月17日)「グリーントランスフォーメーション(GX)に向けて」
  • 環境省(2022年5月12日)「炭素中立型の経済社会変革に向けて(中間整理)」
  • 環境省 中央環境審議会地球環境部会・総合政策部会炭素中立型経済社会変革小委員会(第7回)(2022年9月29日) 資料3「欧米の地域経済移行と公正な移行の動向」(株式会社価値総合研究所 資料)
  • 特定非営利活動法人 気候ネットワーク(2021)事例集「公正な移行―脱炭素社会へ、新しい仕事と雇用をつくりだす―」
  • 日本経済新聞(2022年7月24日)「脱炭素、いざリスキリング 欧州で進む『公正な移行』」
  • NIKKEI GX(2022年11月29日)「COP27『損失と被害』基金 リスクの即時分析を問う」

牧之内 芽衣


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