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アメリカの「国家安全保障戦略」(2022)を読む

~年内に予定される日本の国家安全保障戦略改定~

石附 賢実

要旨
  • 日本では、2013年の制定以来初めてとなる「国家安全保障戦略」の改定を年末に控えている。先んじて2022年10月12日、米国の「国家安全保障戦略」が公表された。本稿では後者を解説する。文末に日本語の要約版を添付する。
  • 「自由で開かれた、繁栄し、安全な国際秩序」に向けて「(軍に加え産業や人など国力全般への)投資」「国家連合構築」「米軍近代化」の3つのアプローチを取るとしている。非軍事を含む幅広い分野を安全保障の対象と捉えている。
  • 日本で注目されている「経済安全保障」という言葉は殆ど使われていないが、人への投資、中産階級の強さ、基幹インフラへの投資や重要物資のサプライチェーンの確保、エネルギー・食料安全保障等が重要課題として列挙されている。「経済安全保障」と定義するまでもなく当然に経済は安全保障の中核とされている。
  • 多様な人材が強みの米国の科学技術力について、本戦略でも「世界最高峰の人材獲得と維持に取り組む」「より多くのSTEM人材を惹きつけることは国家安全保障とサプライチェーン安全保障にとって優先事項」と指摘している。
  • 「グローバルな優先事項」の筆頭は、「中国に対抗し、ロシアを抑制する」。2番目に気候変動等「共通する課題への協力」。
  • 地域別の記述は、ウクライナ情勢下でも中国の台頭を念頭に「自由で開かれたインド太平洋」「ヨーロッパ」「西半球(アメリカ大陸)」「中東」の順。
  • 民主主義の強化を謳いつつも、プラクティカル(実際主義的)なアプローチとして、「民主的制度を受け入れていないが、ルールに基づく国際システムに依存し支持する国々」との連携を示唆している。
  • 「無駄にしている時間はない」と危機感を隠さず、科学技術大国の現状にも満足していない。米国を持ってしてこの危機感、ましてや日本は危機感をより強く持つ必要がある。日本においても、揺れる国際秩序の下で、抑止力としての防衛力の強化とともに、あらためて科学技術力や経済力の重要性を強調したい。
目次

1.経緯

日本では、2013年の制定以来初めてとなる「国家安全保障戦略」の改定を年末に控えている(注1)。先んじて2022年10月12日、米国の「国家安全保障戦略」が公表された。本稿では後者を解説する。

バイデン政権発足後、暫定版(interim report)のみ公表されていたが、漸く正式版が公表されたことになる。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受けて正式版の内容を再検討する必要性が生じ、当初想定よりも公表が大幅に遅れた状況にある。本戦略は“The Biden-⁠Harris Administration’s National Security Strategy”と称され、バイデン政権に紐づいた戦略となる。2022年11月の中間選挙後の政権運営が注目されるなかではあるが、2024年までのバイデン大統領の任期における安全保障戦略の羅針盤となることは間違いない。英文で48ページに及ぶ本戦略について、本レポートの文末に日本語の要約版(8ページ)を添付する。なお、筆者による要約・仮訳であり、正確には必ず原文「https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2022/10/Biden-Harris-Administrations-National-Security-Strategy-10.2022.pdf」も参照されたい。

2.注目点

1.戦略的アプローチの概要~「自由で開かれた、繁栄し、安全な国際秩序」に向けて

「自由で開かれた、繁栄し、安全な国際秩序」に向けて、1) 米国のパワーと影響力の基礎となる源泉と手段(筆者注:軍に加え産業や人など国力全般)に「投資」、2)共通する課題を解決するために、可能な限り強力な「国家連合を構築」し、その影響力を強化、3) 「米軍近代化」と強化、の3つのアプローチを取るとしている。一見、伝統的な安全保障分野である「軍」に関する記述は相対的に少なく感じられるが、本戦略公表後10月27日に公表された「国家防衛戦略」に重点的に記載されている。強力な「軍」が外交の裏付けとなっている認識も示されている。「軍」の記載が少ないというよりは、非軍事を含む幅広い分野を安全保障の対象と捉えていると言えよう。

2.「経済安全保障」という言葉は殆ど使われていないが、当然に経済は安全保障の中核

日本で注目されている「経済安全保障」という言葉は殆ど使われていない。今年、日本においては「経済安全保障法制」として、4分野(サプライチェーン、基幹インフラ、官民技術協力、特許非公開)一括で国会審議され成立した。このように一括りの法律の建付けとなっている国は他にはあまり見当たらないが、昨今の欧米諸国における先行的な諸手当と重なる内容であり、一気にキャッチアップを図った状況にある。この議論の過程で「経済安全保障」という言葉が市民権を得たのが日本の現状であろう。他方で、本戦略を見ると、取り立てて「経済」が安全保障の重要なパーツであることを誇示する「経済安全保障」という言葉を強調していない一方で、人への投資、中産階級の強さ、基幹インフラへの投資や重要物資のサプライチェーンの確保、エネルギー安全保障、食料安全保障などが重要課題として言及されている。つまり、当然に経済は安全保障の中核と位置づけられていると言えよう。

3.揺るぎない科学技術覇権に向けた人材受入姿勢

拙稿「ノーベル賞ランキングと知のパワー・バランス」(2022)「https://www.dlri.co.jp/report/ld/203243.html」にて、ノーベル賞自然科学三賞(物理・化学・医学生理学)受賞者の出生国と受賞時在籍研究機関所在国を集計比較し、米国の研究機関が、研究者の出生国に関わらずノーベル賞受賞者を多数輩出し、多様性を受け入れる包摂性が米国の科学技術力に繋がっている可能性を指摘した。本戦略でも「世界最高峰の人材獲得と維持に取り組む」「より多くのSTEM人材(注2)を惹きつけることは国家安全保障とサプライチェーン安全保障にとって優先事項」「米国が世界一の人材獲得地であり続けるために、さらなる対策を講じる」と、引き続き科学技術の盟主の座、覇権を確たるものとする、揺るがない人材受入姿勢が見受けられる。優秀な人材の受入れに向けてビザの手当も積極化するとしている。

4.グローバルな優先課題の筆頭は「中露」、次に気候変動等「共通の課題」への対処

グローバルの優先事項の筆頭は、「中国に対抗し、ロシアを抑制する」、すなわち権威主義的なライバルに打ち勝つことである。中国については、「国際秩序を再構築(reshape)する意図と、それを実現する経済・外交・技術力を併せ持つ唯一の競争相手」としている。ロシアは、「今日の国際秩序に背き、自由で開かれた国際システムに対する直接的な脅威」としている。地域別の記述は、ウクライナ情勢下でも中国の台頭を念頭に「自由で開かれたインド太平洋」「ヨーロッパ」「西半球(アメリカ大陸)」「中東」の順である。

優先課題として2番目に、気候変動等の「共通の課題」への対処が挙げられている。国家間の競争が激化する時代にあっても共通の課題に対する国際協力を維持、拡大しなければならないとしている。1)「すべての国や組織」を十分に巻き込む、2)「志を同じくするパートナー」との協力を深める、のツートラックで進めるとしている。

5.日本に関連した記述「鉄壁のコミットメント」「尖閣諸島」

日本に関連した多国間の枠組みとしてG7やQUAD(クアッド)重視の記述があるとともに、日本名指しの記述については、自由で開かれたインド太平洋に関する段落のなかで「条約締結国である豪州、日本、韓国、フィリピン、タイに対する鉄壁のコミットメントを再確認する」「尖閣諸島を含む日本の防衛に対する揺るぎないコミットメントを安保条約の下で再確認する」としている。

6. 民主主義強化を強調も、民主的ではない国でも「ルールを支持する国」との連携を示唆

法の支配、選挙で示された国民の評決の尊重、言論の自由、報道の自由、平和的集会等の権利等を確認し、民主主義を強化する姿勢を打ち出している。また、国内の分断を率直・謙虚に受け止めて、自らの欠点を認識し、改善していくとしている。

他方で、民主的国家のみならず、「民主的制度を受け入れていないが、ルールに基づく国際システムに依存し支持する国々」との連携を示唆している点も興味深い。民主主義の強化を謳いつつも、「あるべき論」の押し付けから、ルールに基づく国際秩序を支持する国であれば協力していく、プラクティカル(実際主義的)なアプローチへのシフトが見られる。(4)のツートラックとも関連した思想である。

3.終わりに~米国の危機感

本戦略の最終章は、次の10年にやらねばならないことを総括した上で、「無駄にしている時間はない(There is no time to waste.)」というシンプルな一文で締めくくられている。中露等国際秩序に挑戦する国々への対応や、地球環境等の世界共通の課題への対処には相当な覚悟が必要であり、時間の余裕もないという認識、危機感が滲み出ている。科学技術においても、これまでも多様な人材を受け入れてきた米国が世界一の人材獲得地となるために「さらなる対策を講じる」としている。米国のパワーを持ってしてもこの危機感である。ましてや日本は危機感をより強く持つ必要がある。

米国の国家安全保障戦略を見ても分かる通り、軍事力はもちろんのこと、科学技術力や経済力は国家間のパワー・バランスに直結する、安全保障の中核を成す要素である。外交力も、軍事力・科学技術力・経済力を含む国力があってこそ初めて発揮できる。日本においても、防衛の議論の活性化とともに、国策としての研究開発支援、高等教育の一層の充実、産学官連携、スタートアップ振興、研究者・留学生の受入体制の整備など、科学技術発展に資する政策を総動員しなければならないであろう。揺れる国際秩序の下で、抑止力としての防衛力の強化とともに、あらためて科学技術力や経済力の重要性を強調したい。

以 上

【注釈】

  1. 日本の「国家安全保障戦略」は「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」とともに「安保3文書」と言われ、2022年内にいずれも改定される。3文書のなかで最上位の概念とも言える「国家安全保障戦略」であるが、制定されたのは2013年と一番遅く、今回初めての改定を迎えることとなる。
  2. STEMはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字をとったもの。国家の競争力の源泉として、各国でSTEM教育の充実などが強調されている。

【参考文献】

【参考資料】

石附 賢実


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

石附 賢実

いしづき ますみ

取締役 総合調査部長
専⾨分野: 経済外交、安全保障

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