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内外経済ウォッチ『日本~賃上げはなかなか広がらない~』(2023年8月号)

熊野 英生

目次

春闘の賃上げ率は、1993年以来の高い伸びとなった。連合の最終集計では、定期昇給を含んだ賃上げ率は3.58%、そしてベースアップ率は2.12%という結果になった。この結果が、幅広く私たちの給与の上昇につながっていけばよい。

それを確認するために注目されているのは、厚生労働省「毎月勤労統計」の現金給与の伸び率である。2023年4月は、前年比0.8%(事業所規模5人以上、一般労働者+パート労働者)とふるわなかった。もう1か月後の5月(最新)は前年比2.5%といくらか改善した。賃上げ効果を確認しようとすれば、我慢強く6月以降のデータが上がってくるのを待つ必要がある。

現金給与が上昇しにくい理由

エコノミストたちは、この「毎月勤労統計」を代表的な統計として注目している。しかし、詳しく調べていくと、この統計の現金給与は上昇しにくい構造があることがわかってきた。ひとつは、給与水準の低いパート労働者が増加していることだ。どうしても平均値の賃金水準は、パート労働者の増加で下がる。労働者の中で、パート労働者の割合は31.8%(2023年5月)を占めていて、ほぼ一貫してこの割合が高まっている。日本企業は、正社員を増やしにくく、専らパート労働者を採用する傾向が強い。2023年5月も、パート労働者は前年比3.9%も伸びて、一般労働者は前年比0.9%しか伸びていない。パート労働者の給与水準は、一般労働者の28%と極めて低い。計算上、パート比率が上昇すると、平均の現金給与には低下圧力がかかる。賃上げの効果は、パート比率が上昇していることによって薄まって見えるのだ。

サービス産業の足枷

一般労働者に限定して、現金給与の伸び率をみると、2023年5月は前年比3.0%まで上昇した。特別給与の部分が前年比で大きく伸びた効果(前年比23.2%)が寄与した。ベースアップの効果が表れる所定内給与は、4月の前年比1.4%から5月の前年比2.2%へいくらか伸びた。

この一般労働者の所定内給与は、すべての業種が賃上げで高まっている訳ではなかった。金融保険、情報通信、運輸郵便、不動産・物品賃貸は前年比が比較的高かった。反面、サービス業の多くの業種は伸びが鈍い。医療・福祉、教育・学習支援、飲食サービスは低調である。このサービス3業種は、労働者の人数が多く、一般労働者の1/4を占めている。特に、医療・福祉は1つの業種としては労働者数が製造業と卸売・小売業に次ぐ規模だ。しかも、給与水準がそもそも低い。

医療従事者の給与は高いイメージがあるが、それは一部の医師である。従事者全体では、診療報酬制度に縛られて、賃上げが自由にはできない。福祉も、国や自治体の予算が絞られていて、賃上げが難しい。

サービス業種は、大企業よりも中小企業が圧倒的に多く、その多くがコロナ禍の3年間で、大打撃を受けた。2023年に入ってからの経済回復が浸透して、労働者の報酬還元に結びつくまでには時間がかかる。賃上げが労働者全体に行き渡るためには、消費などへの波及効果、つまりポジティブ・フィードバックが必要となり、相応の時間を要する。サービス業の労働生産性が低く、それが1人当たりの報酬を上がりにくくさせていることは、研究者たちの間で課題として挙げられていた。特に、医療・福祉は過去10年間で市場が急拡大(実質GDPで1.3倍)したが、労働生産性はほとんど上昇していない。医療・福祉市場は、日本の高齢化によって拡大していても、生産性の上昇に結びついていない。それらの事業では、積極的に利益を追求したり、事業者間で競争が促されてこなかった。私たちは、賃上げを目指すとき、こうした構造的課題にも改めて目を向ける必要があると思う。

熊野 英生


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