内外経済ウォッチ『日本~「物価上昇→賃金上昇」をもたらす要素~』(2022年9月号)

星野 卓也

目次

最低賃金は過去最大の伸び率に

2022年8月、厚生労働省の中央最低賃金審議会の小委員会で最低賃金の引き上げが決まった。22年度の最低賃金は全国平均で961円(時給)、伸び率では+3.3%の引き上げとなる。伸び率は過去最大の大きさだ。今回の協議は物価高を背景に引き上げを求める労働者側と、資源高が収益を圧迫する中で更なるコスト増を避けたい経営者側との間で議論は長期化したが、最終的には過去最大の伸び率で決着した。今回の引き上げは各都道府県で10月をめどに適用され、パート・アルバイト労働者を中心に待遇改善につながることになる。

物価が上がれば賃金が上がる?

一般に、物価と賃金には密接な相互関係がある。まず、賃金⇒物価の経路は、①賃金が上がる→②企業の人件費が増える・家計の所得が増えて余裕ができる→③企業が販売価格を引き上げる、が主なパスになる。一方で、逆の物価⇒賃金の経路も存在する。①物価上昇によって労働者の生活が苦しくなる→②労働者が賃金水準の引上げを求める→③企業が賃上げに応じるという経路である。今回の最低賃金引き上げはこのメカニズムの一つと整理できよう。

海外では、この物価→賃金がより広範に機能している。例えば欧州では22年1-3月期の妥結賃金が前年比+2.81%と09年以来の伸び率を記録した。資源価格上昇を起点としたコストプッシュ型のインフレであっても、労働者側からの要求が強まることで賃金にも上昇圧力がかかる。日本では最低賃金は過去最大の伸びとなったが、正社員を中心とする22年度春闘賃上げ率はコロナ前並みへの回復にとどまっている。

図表1
図表1

日本でも過去を振り返ると、1973年の第一次オイルショックの際に、物価→賃金のパスが明確に機能した。原油価格急騰で消費者物価が2割を超える上昇となる中、労働者側が待遇改善を求めて労働争議が増加、賃上げにつながった。

しかし、その後長期にわたって、国内の労働争議件数は減少し続けている(資料2)。イギリスでは今年6月に鉄道会社職員が物価高騰を背景に、賃上げを求めてストライキに踏み切った。日本は良く言えばストライキのない安定した社会だが、企業に対する賃上げプレッシャーはかかりにくい。労働者側の交渉力を高めることが広範な賃金上昇実現のための第一歩だが、労働者側も雇用維持を優先して積極的な賃上げに後ろ向きな側面もある。

図表2
図表2

賃金が上がらない日本において、政府に強く求められるのは、労働者に待遇改善を伴う前向きな労働移動を促すことだ。待遇を改善しないと働き手が離れていく経済環境を構築することが、企業に生産性改善や賃上げを促す。ひいては労働者側の交渉力向上にも結び付いていくはずだ。

星野 卓也


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星野 卓也

ほしの たくや

経済調査部 主席エコノミスト
担当: 日本経済、財政、社会保障、労働諸制度の分析、予測

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