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ここが知りたい『なぜいま「経済安全保障」なのか』

石附 賢実

目次

そもそも「安全保障」とは

安全保障という言葉は国際政治の世界において幅広い文脈で使われている。伝統的な軍事の安全保障に始まり、人間の安全保障、食料安全保障、エネルギー安全保障、そして現在日本で法制化の手当が進められている経済安全保障など、様々な枕詞との組み合わせが存在する。安全保障は英語のsecurityを翻訳したものであるが、このsecurityという言葉には「大事なもの」を何等かの「手段」で「守る」というニュアンスが含まれており、単なる守り(defense)よりも深い、包括的な概念である。

国家・国民にとって守るべき「大事なもの」や「手段」は外部環境とともに変化する。時代に合った明確な安全保障の方針を持つことが重要である。昨今のウクライナ情勢は、集団的自衛権や軍事力がリアリズムとして決定的な要素であることを知らしめた。エネルギー価格が高騰し、対抗措置として経済制裁が前面に出るなど、経済安全保障の重要性も改めて認識させられた。

日本の「国家安全保障戦略」は2013年12月に策定され、岸田政権は2022年中にも改定する方針を示している。ウクライナ情勢も念頭に「大事なもの」や「手段」を時代に合わせて再定義することとなるが、現在法制化による手当が進められている経済安全保障についてもより明確化されると思われる。先行する欧米各国にキャッチアップするためにも、国家安全保障戦略への落とし込みを待たずに法制化が進められている現状は合理的と言えよう。

経済が安全保障上の「大事なもの」に

前述のウクライナ情勢からも分かる通り、経済が安全保障上の「大事なもの」の一つになっていることは間違いない。地政学と経済を組み合わせた「地経学」を唱える専門家も存在する。

経済が「大事なもの」として存在感を増してきた背景として、冷戦終焉以降、グローバル化が進展して世界各国の経済的な結びつきが強くなったことがまずもって大きい。特に中国の経済的な影響力の拡大が、経済安全保障の議論を加速させた。欧米諸国を中心にした5G通信インフラ事業から中国企業を排除する動きや、コロナ禍で医療物資のサプライチェーンが注目されたのも記憶に新しい。これは、自国の基幹インフラや重要物資を中国に依存すべきではないとの考え方が根底にある。しかし、このような考え方が欧米各国で支配的になっていったのは何故だろうか。それは自由・民主主義・法に基づく支配といった普遍的な価値観を共有しないとされる、あるいはルールに基づく国際秩序に挑戦すると思われる勢力については、不確実性や予見可能性の観点から、自国の存亡に関わるものを握らせたくない、ということであろう。直近では同じ文脈で欧州はロシアにエネルギーを頼るべきではなかったということになる。

ここで、その普遍的な価値観の一つである「自由」と経済力の掛け算で、経済力のパワー・シフトを見てみる。米Freedom Houseは1972年から各国の自由度を3つの区分(①Free(自由)、②Partly Free(一部自由)、③Not Free(自由ではない))で評価する“Freedom in the World”を公表している。各国のGDPを3区分に分けて集計し、推移を表した(資料1)。

世界GDPの自由度別構成比の推移(名目US$)
世界GDPの自由度別構成比の推移(名目US$)

国数で見ると1990年のNot Free国は164か国中50か国と実に30.4%を占めていたものの、GDPで見れば世界の僅か6.2%とその経済的な影響力は無視できるレベルであった。中国の経済発展の結果、Not Free国は2020年時点で54か国と国の数としてはさほど増えていないものの、世界のGDPに占める割合は25.6%と無視し得ない規模にまで拡大した。普遍的な価値観を共有しないとされる国々の経済力の台頭が、グローバル化とあいまって、経済を欧米各国の安全保障上の重要アジェンダに押し上げたとも言える。

日本における経済安全保障法制を巡る動向

経済安全保障上必要な手当については、数年前から自由民主党の新国際秩序創造戦略本部で議論され、岸田政権発足以降、政府の経済安全保障推進会議にて法制化の検討がなされた。「戦略的自律性」(他国に依存しない)に加えて、「戦略的不可欠性」(他国から依存させる)の観点から課題を整理し、特に(1)サプライチェーン強靭化、(2)基幹インフラの安全性・信頼性確保、(3)官民技術協力、(4)特許出願の非公開化の4つについて法制化の手当が必要とされた(資料2)。2022年2月25日には法案が閣議決定され、国会に提出されている。諸外国では分野毎に法律が異なる、あるいは法や大統領令など様々組み合わさっている一方で、日本では一括りの法律の建付けとなっている。

法制化が進められている4分野
法制化が進められている4分野

これらの4分野は昨今の欧米諸国における経済安全保障上の先行的な諸手当と重なり、違和感はない。先行諸国へのキャッチアップを実現する意味合いからも大きな一歩である。他方で法の性質上、自由な経済活動を制限する側面が当然に存在することから、官民で緊密に連携し、本則のみならず下位規定や実際の運用など不断の検証・見直しを行い、実効性を担保すると同時に経済活動を過度に阻害しない仕組みを実現していくことが求められる。

法制化の先を見据えて~イノベーション継続に向けた人材育成とビジネス環境の改善が必須

法制面の手当がなされることは経済安全保障の実効性を高める上で必要な措置である。一方で、法の手当は万能ではない。例えば「戦略的不可欠性」に係る先端技術等について流出を防ぐ手立ては、その先端技術があって初めて意味を成す。現状、日本には複数の分野で先端的な技術が存在しており、それを特定し守り育てることが有益なのは論を待たない。しかし、10年・20年単位でみれば、技術の陳腐化を乗り越えて優位性を保つべく、全く新しい技術が生まれ続けている必要がある。将来に亘って優位性を保つには、イノベーションをもたらし続けるような環境を整備すること、すなわちイノベーションが常態化していなければならない。

そのためには、人材育成とビジネス環境の改善が欠かせない。残念ながら、日本においては米国などと比してスタートアップやユニコーンが圧倒的に少なく、博士号取得者数も減少傾向にあるなど、見通しが明るいとは言えない。視座を高め、高等教育、リスキリング・リカレント、起業家教育、産学官連携、研究開発、起業促進、DX(デジタル・トランスフォーメーション)などに資する政策や規制改革を推し進めていかねばならない。足元、デジタル庁の設置、あるいはデジタル臨時行政調査会がDXを阻害する規制の洗い出しを進めるなど、前向きな政府の動きもある。人材育成とビジネス環境の改善が経済安全保障情勢、ひいては国力を左右していくことを認識し、あらゆる手段を総動員すべきである。

石附 賢実


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

石附 賢実

いしづき ますみ

取締役 総合調査部長
専⾨分野: 経済外交、安全保障

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