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乗りものとしての魅力と社会的受容性

-最高のドライバーと最高のクルマ試乗-

宮木 由貴子


本コンテンツは、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が管理法人を務め、内閣府が実施した「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期/自動運転(システムとサービスの拡張)」(NEDO管理番号:JPNP18012)の成果によりまとめられた記事を転載したものです。


子どもの頃から、縁あって数々の貴重なクルマとそのオーナーたちに接して育った。機能的にはポンコツと言わざるを得ないものの、とても美しくて希少性が高いクルマを溺愛する人たちを身近に見て、クルマの価値は速さや燃費だけで決まるものではないと、幼心にしっかり刻みこんだ。

一方、子どもの頃にはまったく乗りものに興味がなかった女性で、急に鉄道に詳しくなる人がいる。その多くが、「息子が電車にハマった」ことにより、知識が一緒に頭に入ってしまったパターンである。筆者に息子はいないが、甥の影響でしばらくドクターイエローやらエヴァ新幹線やらを追いかけまわして写真を撮っていた時期があった。はやぶさとこまちの連結動画に萌える甥を見て、世の中にはなんと多様な嗜好があるのだろうかと感動したものである。

一般に乗りものへの愛、とくに公共交通への愛は女性より男性で強い傾向があるようだが、こうしたきっかけ次第で結構女性も夢中になることがある(無論、最後まで理解しない人もいる)。そして、そのきっかけが子どもであるケースは多い。母親たちは息子の手をひき(というより息子に振り回され)、やれ東急電鉄だの阪急電鉄だのN700Sだのを求めてさまようことになる。電車を見ることを目的に。もしくは、ただ乗ることだけを目的に。

これは単に子どもたちの楽しみではない。私も、「鉄オタ」ならぬ鉄道マニアの方々との交流(?)を通じて公共交通を愛する人たちの気持ちに触れ、自家用車のような占有物ではない、公共の乗りものにおいてもデザインやスタイルが非常に大事であることを知った。鉄道マニアには、「見る鉄」「乗り鉄」「撮り鉄」など、多様なハマり方があるが、いずれの形においても、これらを楽しむ人たちにとって「乗りもの」とは単なる移動手段ではない。つまり、公共交通も、単に早く安く効果的に移動できればいいというだけのものではないということだ。

そんなことを考えていた矢先、「プロドライバーの運転がどんなものか体感しようぜ」というロックなお誘いをいただいた。プロドライバーといっても、いわゆるヒトやモノを運ぶ「運転手」ではなくて、運転自体のプロフェッショナル。17年間もポルシェのチーフインストラクターを努めてきたSIP cafeのカフェマスター、清水和夫氏。

さっそうと現れたクルマが、ポルシェ911ターボSカブリオレ。これはまた、なんと美しいクルマだろう。

イメージ写真
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気温30度を超える快晴。飯倉から首都高速に入るなり一瞬で加速。東京タワーをピャ! と過ぎてレインボーブリッジを超える頃には、オープンカーあるあるのボサボサヘアに。元来、カーブと表示の多さゆえに、筆者は絶対運転しない(できない)首都高速道路。くねくねしたコースを滑るように走り(浮かんでいるのかと)、美しいカーブを描く運転。低音の振動から伝わる安定のパワー。乗る人にハピネスを約束する外装・内装。そして何よりプロのドライバーの余裕と、楽しそうにハンドルを握る姿。ワクワクしないはずがない。アドレナリンが過剰分泌されて、楽しくて楽しくて笑いが止まらない感じになる。どこに行くわけでもない、走り慣れた道、いつもの景色なのに、なんでこんなに楽しいのだろう。

乗りものとは、なんと素敵なモノなのかと改めて思う。人とテクノロジーの共同作業。クルマも電車も飛行機も。バイクも自転車もキックボードも。船も潜水艦もヘリコプターも。果ては、ガンダムもエヴァンゲリオンも。

乗りものは人を魅了する。「モノ」としても「コト」としても、人を笑顔にする力がある。私が本コーナーで時折つぶやく「Mobility as a Happiness」の体現だ。

移動手段に乗ること自体を楽しむ文化の先駆は、乗馬だろうか。意外に古くから、人間は乗りものに乗ること自体を「楽しむ」という文化を持ち、その対象に愛着を持ってきた。馬は生きものだが、クルマや公共交通はメカである。しかし私たちはそんな金属の塊に並々ならぬ感情を持ち、自分の「相棒」としての感覚すら覚える。そして、その欠点や機能限界も含めて受け入れ、その欠点を補おうとすらする。人とテクノロジーができることを担い、できないことを補完し合う形をとることで、少しずつ社会実装しながらテクノロジーを育てていく。それができるようになることが「社会的受容」であり、自動運転においても必要な視点だと、改めて思う。

これからの自動運転の社会的受容性醸成において、「乗りものとしての魅力」を備えることは不可避の課題だと思う。それは、オーナーカーについても、サービスカーについてもいえる。移動手段として使われている乗りものの多くは、実はハピネスをまとうものが多い。見るだけで、小さな子どもから大人までが胸をときめかせるからだ。自動運転が、オーナーカーとしてもサービスカーとしてもそのような存在として機能するように、「移動弱者の効果的な移動」「運賃収入とマネタイズ」「地域の課題解決」「代替交通」といった検討領域からさらに一歩拡げて、「Well-beingを実現する乗りもの」としてのあるべき姿を考えたい。そこからバックキャストして存在価値を考え直す、というプロセスが、今、必要なのではないだろうか。性能だけではなく、乗りものとしての魅力的なデザインとわくわく感、トキメキ、ハピネス体感をもたらすものは何かを考える。そしてそのキーとなる「子ども」や「若者」にもっと目を向けることが、社会的受容性の醸成につながるのではないだろうか。

ポルシェを降りたあと、同乗した本稿編集担当者がポツリと「ただクルマを走らせるだけの楽しみ方って、消えてしまうのでしょうか」と呟いたのが印象的だった……。

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ポルシェ911ターボSカブリオレ
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ポルシェ911ターボSカブリオレ
宮木 由貴子

みやき ゆきこ

取締役・ライフデザイン研究部長
主席研究員
専⾨分野: ウェルビーイング、消費スタイル、消費者意識、コミュニケーション、自動運転の社会的受容性醸成

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