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「してもらうテクノロジー」から「Withテクノロジー」視点へ

〜茨城県境町に見る、人と自動運転のいい関係〜

宮木 由貴子


本コンテンツは、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が管理法人を務め、内閣府が実施した「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期/自動運転(システムとサービスの拡張)」(NEDO管理番号:JPNP18012)の成果によりまとめられた記事を転載したものです。


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3月某日、茨城県境町でBOLDLY社が走らせているフランスのNAVYA社製ARMAに乗せてもらいに行った。大変晴れた日で、利根川河川敷から菜の花畑越しに見える富士山と関宿城が素晴らしく、しばらく仕事での移動すら思うようにできていない身に染み込む景色だった。その地で見せてもらった自動運転のあり方もまた、社会的受容性を考える私の心に多大なヒントを与えてくれた。

1.地域の課題を自覚し、地域に合わせて受け入れる<WHYの受容>

境町は、他の多くの自治体でそうであるように「人口減少」「高齢化」という課題に直面する中、自動運転のみならず、移住・定住政策や子育て支援政策などにおいて、様々な独自の取り組みを行っている。異例のスピードで地域に自動運転を取り入れる判断を下し、コロナ禍にありながら着実に取り組みを進められた背景には、地域のモビリティ不足だけでなく、自治体として高いチャレンジ精神の土壌があったようだ。既にARMAの乗車人数は2000人を超えた。

公共交通の少ない地域では、自家用車が重要な移動手段だ。しかし、高齢になれば自分でハンドルを握ることは難しくなってくるし、女性の就業率が高まる中でいつでも家族にドライバーを頼める環境でもなくなってきている。当初、町民に直接的な「自動運転」へのニーズはまったくなかったであろうが、便利なモビリティへのニーズは潜在的に高かったといえる。

境町のイメージにデザインされたオリジナル仕様のARMAは、その日の天気によく映えていた(町外の人の乗車は予約制)。このデザインのおかげか、ARMAは子どもたちにも大人気で、高齢者だけでなく子ども連れのお母さんたちがよく乗っている。聞けば、ARMAに乗ってキッズハウスに行くのが、子どもたちのひとつのレジャーパッケージになっているという。素敵な乗り物に乗り、行きたい場所があるというのは、なんと幸せなことだろうか。そう、乗り物はどこかに移動する手段としてだけでなく、乗ること自体が大きな楽しみ・喜びでもあるのだ。乗ればワクワクするし、見るだけでも興奮する。実際、試乗中に道を歩く子どもたちに笑顔で手を振られたし、乗車そのものを楽しむためだけに乗る子ども多い。しばしばお絵描きのモデルになっている。ARMAに出会うことが闘病・通院の励みになっている子どももいるという。

地域に合わせたカスタマイズ(車内では境町出身のバンドの曲を流すこだわりようだ)と、地域のハピネス創出。そして、そういう町民の姿を見ることで、事業者スタッフもハピネス体感。これは事業者の一方的な事業活動では到底なしえない。事業者が「なぜ自動運転なのか」という“WHY”を地域住民と共有し、常によりよいあり方を地域と一緒に模索することで信頼関係を構築してきたことによるものなのだ。だからこそ、住民はARMAに駆け寄るだけでなく、スタッフに声をかけ、スタッフに手を振る。

2.自動運転技術でできることを探し、できないことを受け入れる<WHATの受容>

もちろん、公道を走る地域のモビリティなので、単に嬉しい・楽しいだけではダメである。基本的に自動運転で走行するので、スピードは30㎞/hも出さない。当然後続車がノロノロと行列してしまうことがある。境町のARMAが走行するのは大半が見通しのよい直線コース(現在は5㎞コースだが5月末から20㎞に延長)だが、走行車線は黄色線なので追い越し禁止。さあどうする、境町ARMA。

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でも大丈夫。まず頻繁にバス停がある。しかも道路からしっかり外れる形でバス停エリアが設けられている。これ、なんとほとんどが住民の方々のご厚意で提供された私有地だというからオドロキである。そこにARMAが停車し、乗客の乗降中に後続車問題は解決。しかも境町ARMAは「こういうモノだ」という共通認識が住民にできている。ARMAが走りやすいように路上駐車も減ったという。このように、場所(停留所)や時間(後続車の待ち時間)、ARMAの限界といったものを、住民が受け入れ分かち合うことで、地域のモビリティを維持・確保しようとしているのだ。ARMAをうまく走らせることは地域の安全を維持することであるとともに、地域の新しい移動手段を守ることでもあり、さらには子どもたちの楽しみや笑顔を守ることでもあるという「価値の共有」ができている。

ちなみに、ARMAには作動記録のためにビデオカメラが搭載されており、有事には確認することができる。これが「動く防犯カメラ」となることを期待する声もあるという。町を走る自動運転が、モビリティとしてだけでなく、地域の安全を見守ってくれる存在にもなるとしたら、なんと頼もしいことだろう。

自動運転技術でできることを模索しつつ、できないことや限界を含めた自動運転の“WHAT”を理解した上で、「技術が人に何をしてくれるのか」ではなく、「技術の力を最大限引き出すために人に何ができるのか」という姿勢で動くことが、効果的な社会実装において重要なのだと改めて感じた。

3.育てる意識が成功への近道<“内発的HOW“の視点>

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境町において、人々が当初から自動運転に友好的だったわけではない。むしろ当初は否定的な意見も多かったそうだ。しかし、境町ARMAが全国ニュースになったり、テレビで取り上げられたりといった機会が増え、「素敵な自動運転が走る町」という意識が、徐々に町民に醸成されていったようだ。

その背後に、自動運転の理解促進に努め、情報発信を行い、サポートした人たちが地域住民の中にいたことが功を奏している。例えば、ARMAのYouTube動画を作成して発信する人、ARMA型パッケージに入ったサンドウィッチを作る人。その中心が若い世代だというのも、今後のモデルになるように感じる。お年寄りはあまりYouTubeを見ないのではと尋ねたら、三世代同居が多く子どもや若者が祖父母に見せているのだという(実際その動画の視聴者の25%が60 代以上だという)。聞けば、長年地域に住んでいる人たちは、町を紹介する動画やパンフレットに非常に関心が強いのだそうだ。ARMAを介して世代間交流まで生まれているなんて、“わらしべ長者”並みの付加価値ではないか。

こうした動きにより、自動運転をどうやって地域に入れていこうかという “HOW”が、事業者や自治体だけでなく、地域住民から内発的に発案されている。だからこそ、最初こそ恐る恐る入れたテクノロジーが地域と共に成長し、はるばるフランスから来たARMAが今や地域で“うちの子”として受け入れられているのだろう。

ヒューマンエラーが必然であるように、システムエラーもまた必然だ。100%の技術というのはあり得ない。しかし、人間ができない部分をテクノロジーは大きくカバーできるし、テクノロジーの限界を人が理解していればそこを人がカバーすることもできる。Society5.0は、サイバーとフィジカルを融合させて社会課題の解決に臨む社会。テクノロジーをうまく活用し、その限界や欠点をうまく人間が補うスタイルをとることで、限りなく100%に近いテクノロジーの実現などを待つよりも、もっとずっと早くに社会課題の解決をもたらすことが期待できる。自動運転の社会実装における社会的受容性の醸成とは、そうしたSociety5.0 のあり方を体現できるものであると考える。

個人的には、自動運転車で多くの人が笑顔になっているのを見て、もう乗客ゼロでも価値があるじゃないかと思った次第である(*乗客ゼロのことはないそうです)。

宮木 由貴子

みやき ゆきこ

取締役・ライフデザイン研究部長
主席研究員
専⾨分野: ウェルビーイング、消費スタイル、消費者意識、コミュニケーション、自動運転の社会的受容性醸成

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