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コロナ禍の「居場所」空間としてのクルマは、自動運転の未来像?

宮木 由貴子


本コンテンツは、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が管理法人を務め、内閣府が実施した「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期/自動運転(システムとサービスの拡張)」(NEDO管理番号:JPNP18012)の成果によりまとめられた記事を転載したものです。


この1年近く、どんなテーマの執筆や講演でも、「コロナ」に言及せざる得ない状況が続いているが、この傾向はまだしばらく続きそうである。コロナのせいでできなかったことは山ほどあるが、コロナのおかげで気づいたことも多い。実際、コロナ禍でスポットを浴びた数々の社会課題は、新しいものというより従来課題が顕在化した類のものが多いともいわれる。これまでなんとなく目をつぶってやり過ごしていた事実が、コロナ対策や制約により「見える化」されたのだ。

家に居場所がない!?

そのひとつが「家に居場所がない」という事実である。「居場所がない」といっても、「たまに家にいるお父さんが家族に口をきいてもらえない」とか、「中二病(思春期)をこじらせてアイデンティティを模索している子どもが迷走」などという居場所のなさではない。物理的に「場所がない」のである。

例えば、共働きの両親ふたりともが在宅勤務になり、大学生の子どもたちまで完全リモート授業というケース。PCなどのデバイスは会社から貸与されるとして、問題は「どこでやるか」(厳密にいうと、ネットワーク容量も奪い合いになっているようだ)。よって、これは住宅が狭い都市部の非単身世帯でより顕著な課題といえる。

緊急事態宣言が発令された2020年春。一斉に在宅するようになった人々は、家の中でちょっとしたコーナーを探し、少しでも独立性を高めるためにパーテーションを設け、新しい作業用の椅子を購入し、少しでも快適な作業スペースを確保しようと涙ぐましい努力をした。季節がいい時期には、ベランダや庭でリモートワークをする人も見られた。

場所があればいいというものでもない

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しかし、何とか場所を確保しても、集中したいときに限って子どもやペットが騒ぐかもしれない(リモート会議中のモニターに多様な生き物が映り込むのを目撃することは少なくない)。モニター越しに上司から注意されている自分の姿は、家族に見られたくない(部下への指示の仕方を家族にたしなめられた人もいる)。機密情報についてリモート会議することもあるかもしれない(家族がスパイかもしれない?・・・というマンガが昨今売れている)。かといって、三密や不要不急の外出を回避する上で、むやみにシェアオフィスやカフェというわけにもいかない(実際、最終的にそういう場所を利用せざるを得ない人も多い)。

このように、これまでになく在宅率の高い生活を送る中で、多くの人が「居場所」についての課題をつきつけられたのだ。

リビングとしてのクルマ

このような中、ひとつの居場所として注目されたのがクルマである。それまでも、落ち着く空間として、昼寝の場所として、ドライブはせずに駐車中の車内で過ごすという人はいた。しかし、今年ほど「リモートワークの場」としてクルマが見直されたことはなかったのではないか。完全な個室。静か。人間工学的に作られたふかふかのリクライニングチェアとドリンクホルダー。冷暖房完備(ただしエンジンをかけっぱなしで駐車というのもなんだから、電気自動車がベストか。季節を選べばエアコン利用なしで可)。うまくすれば自宅のWi-Fiもガレージに届く。疲れたら椅子を倒して昼寝もできるし、少々音量を上げて音楽を聴いても家族に迷惑はかからない。気分を変えたければエンジンをかけてアクセルを踏めばよい。そのままスーパーに寄って夕飯の食材を買ってくることもできる。

このように、コロナに端を発した居場所確保の紆余曲折を経て、自宅のクルマを移動手段としてだけではなく、リビングのような「居場所」として認識した人は少なくないようだ。

自動運転の活用コンセプトとしてのヒント

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実はこのことは、今後自動運転を社会実装していく上で、重要なヒントを提示しているように思う。今年施行された改正道路交通法により、名実ともに自動運転である「レベル3」のクルマが公道を走れるようになった。運転支援車である「レベル2」でも、高速道路上で追従走行やレーンキープの機能を活用することで、運転から解放されることは部分的に可能となっている。しかし、レベル3の自動運転の大きな特徴は、一定の条件を満たせば「スマホなどを操作してよい」というところ。自家用車の運転から解放されて「別のこと(セカンダリータスク)ができる」というのは、人が運転から解放される「自動運転」のコンセプトにおいて、実は大きな一歩といえる。

とはいえ、レベル3はシステム側からの要請があれば、人がすぐにハンドルを握って操作を引き継がなければならないので、「じっくり仕事をする」という状況にはないのが実情だ。しかし、これは「まだ」この段階なのであり、今後に期待される領域である。

クルマが単に移動手段ではなく、「中で快適に過ごし、ほかの用を足せる」という手段かつ場所として存在を確立していくにあたり、コロナ禍における「居場所としてのクルマ」は、重要な示唆をしているように思う。将来的には、仕事をしながら自家用車でドア・ツー・ドアの移動できたり、映画を見てリラックスしながら仕事現場に行かれたりというように、公私混合(「公私混同」ではなく)のライフスタイルにシフトしていくのかもしれない。コロナ禍がそうした、「移動」「モビリティ」のあり方のヒントや未来を見せてくれたのだとしたら。否、コロナからそのくらいの学びとヒントを引き出すことで、今年失ったものを少しでも取り返したいものである。

ただで転ぶことはない。

宮木 由貴子

みやき ゆきこ

取締役・ライフデザイン研究部長
主席研究員
専⾨分野: ウェルビーイング、消費スタイル、消費者意識、コミュニケーション、自動運転の社会的受容性醸成

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