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オーストラリアの町、アーミデールでみた「自動運転」

宮木 由貴子


本コンテンツは、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が管理法人を務め、内閣府が実施した「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期/自動運転(システムとサービスの拡張)」(NEDO管理番号:JPNP18012)の成果によりまとめられた記事を転載したものです。


今年の初めにオーストラリアに出向いて自動運転の情報収集を行った。今号ではアーミデールの町が見せてくれた自動運転の社会的受容性醸成のヒントについて考えたい。

干ばつ・火事・水害に見舞われたニューサウスウェールズ州

2020年年初のオーストラリアでは、深刻な干ばつとニューサウスウェールズ州の大規模火災が目下の懸念事だった。私が州都シドニーに入った日は、前週まで続いていたとされる夏の暑さが嘘のように和らいでいた。さらに降り出した雨が瞬く間に土砂降りレベルに達し、その雨で大方の火災が鎮火したのだが、降りすぎた雨で水害が発生するなど、火責め・水責めのひどい時期だった。その後のコロナ禍だから、関係者はさぞかし大変だったろう。

アーミデールは、シドニーとブリズベンの間に位置し、エリア全体で人口3万人強、総面積8630 ㎢を有する。大きさでいうと広島県より少々大きいくらいか。完全な車社会である上に人口減と高齢化に悩むなど、日本の地方都市と同じ課題を抱えるエリアだ。

景色に溶け込む自動運転車

自動運転車
こじんまりした町の景観を壊さないよう、適度に目立つ自動運転車(Easymile)

シドニーからアーミデールに入った際も、風雨でフライトが数時間遅れた。そのため、予定を大幅に変更しての視察だったのだが、何とか自動運転車の試乗ができた。

バス停
バス停には「ARDi」と表記がある
イメージ写真
バス停には「ARDi」と表記がある

私たちを案内してくれたのは、アーミデール市(リージョナルカウンシル)自動運転プロジェクトARDiのアダム・クーパー氏。州の助成事業をチャンスとし、地方自治体が主体的・積極的に新しい技術の地域導入に取り組んだというプロジェクト招致の経緯や、インフラ整備などについて事前に説明を受けた後、車両内スタッフの説明を受けつつ市長と共に雨の中の試乗。

ゆっくり近づいてきた試乗車は、適度に周囲の目をひき、でも景観を壊さない色味のEasymileの自動運転車。自動運転車においてデザインはとても重要だ。自動運転車であることを周囲にわかってもらわなければならない一方で、周囲から「浮く」存在であることは望ましくない。町に溶け込み、人に受け入れてもらうためには、それなりの外観上の工夫が必要なのだ。Easymileは運転席がないので、乗客は向かい合って座る形になる。運転席がないにも関わらずワイパーがフル稼働していたので、結構な雨だったが外を見ることができた。

ラウンドアバウトは慎重に

イメージ写真
日本でも最近はラウンドアバウトに出くわすことがある。日本と同じ左側通行のオーストラリアでは信号機よりラウンドアバウトが多い。ロータリー内を走るクルマが優先されることもあり、自動運転車が合流するのはハードルが高い(写真は北九州市尾倉ロータリー)

そんななかで見えた一幕。試乗は公道で行ったので、当然周囲には一般車が走っている。訪れた町は信号がなく、交差点はラウンドアバウト(環状交差点:右側通行なら反時計回り、左側通行なら時計回りにロータリーに入り、行きたい方角に伸びた道に入る形でロータリーを離脱)。信号がないということはロータリーへの入出にドライバー同士の「あうんの呼吸」や譲り合いが必要になり、不慣れだと離脱できずにグルグル回り続けることもある(実際、パリの凱旋門を取り巻く大きなラウンドアバウトなどだと、素人にはとても無理という気がしてならない)。

イメージ写真
日本でも最近はラウンドアバウトに出くわすことがある。日本と同じ左側通行のオーストラリアでは信号機よりラウンドアバウトが多い。ロータリー内を走るクルマが優先されることもあり、自動運転車が合流するのはハードルが高い(写真は北九州市尾倉ロータリー)

そんなラウンドアバウトに、他車とのコミュニケーションができない自動運転車がどんな感じで対処していたかというと……ひたすらロータリーに入れずにいた。センサーが対象物を感知すると停止する自動運転車は、右から来るクルマ(オーストラリアは左側通行なので時計回りに円に入る)との距離がよほどないと発進できない。その結果何が生じたかというと、自動運転車の後ろにラウンドアバウトに入ろうとするクルマが溜まっていき、長蛇の列を作ることになってしまった。

不完全なものをそのまま認めるのが「受容」

ここで、「自動運転、まだまだだな」というのは簡単だが、ラウンドアバウトに入れない自動運転の後続車に、社会受容性のヒントが見える。無論、「ちぇ、アンラッキーだな。前方に要領を得ない自動運転車がいるぞ」「今なら入れるぞ、早く行けよ」などと思っていたドライバーがいたかもしれない。実際、アーミデールは古い町なので、テクノロジーの導入に抵抗がある人も多く、信頼獲得はそれなりに難しいとのことだった。しかし聞けば、特段こうしたことに対するクレームは事業者に入っていないようなのだ。新しい技術のトライアルをしていること、それが社会や住民に役立つものであること、そして自分たち人間も完全ではないこと……そんなことがもし住民に理解されていて、それが自動運転車を町で走らせることの受容につながっているとしたら、それはすごいことである(おそらくそれよりは地方在住のオージー[Aussie:オーストラリア人]の大らかな性格が大きいと思われる)。雨の中、自動運転車を飛び出して、後続のドライバーたちにそんなことをインタビューできたら……という衝動にかられたが、さすがに思いとどまった。

受容とは、100点満点のジャッジを下すことではなく、ある程度のレベルに達した「不完全なもの」を認めることかもしれない。無論、その根底には、今後それらが改善され、進化してより良くなっていくという前提がある。試行錯誤を繰り返しながら社会実装を進め、不具合や改善点を見つけたら、適宜スピーディーに修正していく。そんなアジャイルで柔軟なやり方が、社会受容性を醸成しながら技術的向上も加速させるのではないだろうか。「まあ、こんなもんだろう」くらいから始めるのだ(無論、身体生命の安全は最優先なので、まずはスピードや機能を大目に見ることになるだろう)。

100点満点の技術を社会に出すのは理想である。しかし、自動運転では「How Safe Is Safe Enough(どれだけ安全なら十分なのか)」といわれるように、100点満点のゴールや基準が見えない。そんな中、少し長い目で慎重に「育てる気持ち」と「支える目」を持つことが、作り手側と消費者に求められるのではないか。そんなことを感じたとともに、「国民性」も受容性醸成の土壌として外せない要因であることを痛感した視察だった。

宮木 由貴子

みやき ゆきこ

取締役・ライフデザイン研究部長
主席研究員
専⾨分野: ウェルビーイング、消費スタイル、消費者意識、コミュニケーション、自動運転の社会的受容性醸成

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