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「自動運転の社会的受容」と「自動運転への不安ゼロ」は違う

宮木 由貴子


本コンテンツは、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が管理法人を務め、内閣府が実施した「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期/自動運転(システムとサービスの拡張)」(NEDO管理番号:JPNP18012)の成果によりまとめられた記事を転載したものです。


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自動運転にかかわるキーワードを新聞で見ない日がないくらい、「自動運転」という言葉自体の認知度は高まった。名称の認知度という点でいえば、「SDGs」(国連の持続的な開発目標)や、「エシカル消費」(倫理的消費)といったものと比べても、ずっと高いといえる。しかし、生活への定着度や日頃の意識という点でみると、SDGsやエシカル消費にかかわる行動(例えば、性差別の改善やごみの分別といったものなど)で、私たちの日常において当たり前となったものは多々あり、生活への浸透率という点でみると状況は逆転する。

果たして、「社会に受容される」というのはどういうことなのだろうか。

私たちはつねにリスクと共存

現在の車社会において、自動車事故で死亡する人は年間3500人強。また、そろそろ年末年始で、餅を食べる機会が増えるが、実は毎年餅をのどに詰まらせて死亡する人も絶えない。こうした状況にありながら、死者が出るリスクのある「危険物」だから、クルマや餅を社会からなくそうということにはならない。

では、社会はこのリスクをどう処理しているのだろうか。自動車会社は少しでも安全性の高いクルマを生産しようと努力をする。餅を作る事業者も、大きさを工夫したり、噛み切りやすいように餅に切り込みを入れたりして、安全性の向上に努める。一方で、消費者側もリスクを減らすために努力している。ルールを守り、注意してクルマの運転をする。のどに詰まらせるリスクの高い高齢者等が餅を食べるときは、小さく切ったりよく噛んで注意して食べたり、といった具合である。

すなわち、それらが「リスクのあるもの」である事実を社会で共有した上で、そのリスクを最小限にすべく、事業者と消費者が連携して価値を支え、効用を享受しているのである。

自動運転の社会的受容性の醸成において必要なのは、正にその視点である。事故の減少や慢性的なドライバー不足、環境負荷低減といった自動運転がもたらす効用を社会で享受するために、事業者と消費者の双方が努力し、それを社会で「うまく使う努力」をしなければ、自動運転の価値を最大限引き出すことはできないのだ。

未知のモノへの「不安感」が支える「安全」

「自動運転に対して不安がありますか」と尋ねると、結構な割合で「不安である」という結果が出る。自動運転の社会的受容性の醸成において必要なのは、この「不安感」をゼロにすることではない点に留意が必要だ。むしろ、自動運転に過度な期待をせず、少なくとも過渡期において消費者がそれらを注意深く活用することは、円滑な社会実装と将来的な性能向上において極めて重要である。

そのためには、消費者が自動運転に対して一定の不安感を持ち、リスクと折り合いをつけて「どうしたらうまく使っていくことができるか、そのために消費者側から何ができるか」を模索することが求められる。これこそが、社会的受容性であると考える。

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「なぜ自動運転などが必要なのか」「今までの自動車ではどうしてだめなのか」。そういう疑問も大いに出していくべきである。こうした問いに、既に社会は答えを出している。自分や家族が高齢になったとき、自分自身で運転できなくなったとき、一人暮らしになったとき、自分は行きたいところに行かれるのか、誰が自分のモビリティを助けてくれるのか。これらの課題を自分事として考え、自らのモビリティ・ライフデザインについて考えると、その答えの片鱗が見えてくるはずである。

宮木 由貴子

みやき ゆきこ

取締役・ライフデザイン研究部長
主席研究員
専⾨分野: ウェルビーイング、消費スタイル、消費者意識、コミュニケーション、自動運転の社会的受容性醸成

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